英国きっての大地主、王室

国葬の中止を求める声は一部のメディアに上がっていたが、これも大きな声とは感じられなかった。国葬の費用は「国(State)が賄う」とだけ発表されている。王室の金庫からも拠出されてはいるものの内訳は明らかにされていない。日本では女王の葬儀費用は11億円、16億円といった数字が報道されていたが、すべて推定値だ。

驚くまでもないが、王室は英国きっての大地主。上がる利益のほとんどは国庫に収められる。その中から2割程度までが助成金として王族に還元されるという自給自足的な仕組みで、居所の一般公開や投資など他の収入源もある。このため、「王族は国民が払う血税だけで養われている」という見方はあまりない。

献花スペースに置かれたたくさんのメッセージを読んでいると、エリザベス女王が国民の心に占めてきた存在感が少しずつ形を表してきた。父ジョージ6世王の時代を知る人はすでに75歳以上で、総人口の8.6%程度しかいない。ほとんどの英国民にとって「英国の象徴」といえば、20代の若さで2人の子どもを抱えて戴冠し、国民の目の前で妻、母、君主として成長し淡々と公務を続けたひとりの女性しかいなかったのだ。

お酒、車の運転、ユーモアもたっぷり

その女性エリザベスは、戦後から20世紀が終わるまでの平和な50年に君臨し、激動の21世紀になっても動じることなく「いつもそこにいた」。4人の子どもたちが代わる代わる引き起こすスキャンダルには頭を悩ませられたが、自身は一度も醜聞のネタになったためしがない。何があっても言い訳をしないというモットーを父王から受け継いでいた。

かといって堅物ではなく、お酒もたしなみ、乗馬や車の運転も得意なら会話にユーモアを盛り込むのもお手のもの、という人間味を感じさせる面も国民にはよく知られていた。

日本の皇室とほんとうに違うと感じるのはこの点だ。

英国の女王または王は、君主ではあるが国を直接治めることはせず、権限は議会が持つ。日本の天皇が「日本国及び日本国民統合の象徴」という存在であるのと、イメージ的に重なる部分がある。女王の祖父の代までは皇族と同じく「名字がなかった」という共通点もあったのだが、現在の類似点といえばこれくらいのものではないだろうか。2つの国を比べると、国民との距離感の差が明らかだ。