誰にも真似できない味で斬新なネーミングを

赤城しぐれが好調なまま、同社は氷菓に加えて冷凍乳菓(アイスクリーム類)の製造を始める。そうして、成長を続けたが、1970年代後半に起きた第2次オイルショックで売り上げが落ち、主力の赤城しぐれも伸びが止まってしまった。

そこで、当時の社長、井上栄一は息子の秀樹に新商品の開発をまかせることにした。秀樹は少数の商品開発チームを発足させ、新しいコンセプトの下に子ども向け新氷菓の開発を始めたのである。

開発チームはまずカップをやめた。子どもたちが主な客層だから、片手に持って食べられるスティックタイプにしたのである。ただし、かき氷を固めただけのものにスティックを挿すのでは崩れやすくなり、スティックが抜けてしまう。そこで表面をアイスキャンデーでコーティングしたのである。

味は子どもに人気のあるソーダフレーバーを採用し、スティックには当たりくじもつけた。そうして、当時としてはかなり斬新な「ガリガリ君」(発売当時50円)というブランドネームにしたのである。

開発チームが考えたコンセプトは「サイズは大きく」「かき氷を使う」「当たりくじをつける」「誰にも真似できない味」「ネーミングは斬新に」といったものだった。

コンビニの成長とともに「ガリガリ君」もヒット

1981年の発売後、子どもたちは飛びついた。93年には4100万本になり、2013年には4億7500万本へと急拡大した。コロナ禍の現在でも年間4億本は売れていて、「日本で一番購入数量が多いスティックアイスブランド」で、かつ定番商品になっている。

ただ、ガリガリ君がヒットし、ロングセラーになっているのは味、価格、マーケティング、新フレーバーの展開といった開発力だけではない。

現在、マーケティング担当で、ガリガリ君のコーンポタージュ味を生み出したブランドマネジャーの岡本秀幸は「コンビニの力が大きいんです」と語る。

「赤城乳業はコンビニの成長とともに伸びてきました。例えば1964年に赤城しぐれを発売した頃は大手乳業メーカーが自社ブランドのアイスストッカーを小売店の店頭に並べ、配送も自社でやっていました。

赤城乳業は製造しかやっていなかったので、大手ブランドのアイスストッカーに入れてもらうしかなかった。それでは売れる数は限られてしまいます。

一方、コンビニは自店舗に大きな冷凍ケースを持っています。また配送もコンビニのトラックがやります。製造しかやっていない会社の商品でも人気が出れば扱ってもらえる。赤城乳業はコンビニの成長とともに大きく伸びていったのです」