政教分離は「主権の問題」
旧統一教会問題で日本の政教関係のあり方が問い直されている。日本の「政教分離」はフランスの「ライシテ」とどう違うのだろうか。ここで、ライシテの基本法である1905年の政教分離法が主権の問題とも関わっていたことに注意を促したい。
1905年法制定前夜、作家のアナトール・フランスは『教会と共和国』(1904年)を著し、カトリック教会が精神的権力であるのみならず世俗的権力と化していることを問題視している。保守的なアカデミー・フランセーズの会員でありながら、人権を重視する反教権主義者だった彼の目に、教皇庁は宇宙の主権=至高性(souveraineté)を教会の聖なる法規に基づかせようとしていると映った。このような教会のあり方は、フランスの主権を脅かすものである。
冷戦時代に反共思想で自由主義陣営とりわけ日米の有力政治家に取り入った統一教会の世界戦略にも、同じような面があったと言えるのではないか。
戦後日本の主権を脅かすアメリカと統一教会
日本は戦後、米国の占領を経て1952年に主権を回復したことになっているが、それは日米安全保障条約とセットで、沖縄は割譲されたままであったし、現在でも米軍基地を多く持つ。戦後日本はこのような意味での「主権国家」なのであり、親米右派がナショナリズムの主流をなしている。それが岸信介以来の系譜にあることは、第2次安倍政権の発足以降、非常に見えやすくなった(矢部宏治『知ってはいけない2 日本の主権はこうして失われた』講談社現代新書、2018年)。
統一教会の教祖である文鮮明は1967年に来日して岸信介や笹川良一と会談し、翌68年に韓国と日本で国際勝共連合が設立された。統一教会が自民党右派に食い込み、現在のような状況を作り出すに至ったきっかけである。
戦後日本の主権は、アメリカに支えられつつ奪われてきたように、勝共連合=統一教会によっても脅かされてきたところがあったのではないか。このような視点からも戦後日本の政教関係を見直してみる必要があるだろう。
もちろん、統一教会が戦後日本の政治を動かしてきたかのような語り方をするのは陰謀論の類いであろう。信者数も現在では2万人を上回る程度のようである。とはいえ、選挙で8万票程度を左右するとも言われ、当落線上にある候補者を当選させてきた「実績」も無視できない。
戦後日本の統一教会を20世紀初頭のフランスにおけるカトリック教会になぞらえるのは妥当ではないかもしれない。だが、ライシテの成立状況を鏡にすると、政教分離が主権の問題とも連動していることが見えてくる。フランスは、国家の主権を脅かす宗教との絆は断ち切って、政治社会の宗教的自律性を確保したのである。