「受験は富裕層に有利」もはや当たり前に

ただし、これを意外な事実として受け取る人が果たしてどれくらいいるだろうか。

多くの人は、「それは当たり前だろう」と納得したに違いない。

もちろんダントツに勉強ができる子なら塾も家庭教師も必要ないだろうけど、それは極めてまれなケースであり、一般的にはどれくらい教育に投資したかが、その子の学力、ひいては学歴を左右するであろうことは、今の世の中を見ていれば誰だって容易に推察できる。

また、受験そのものも富裕層に有利にできている。

どこも受験料はバカにならないし、それを何度も払って何校も受験できる子のほうが、そうでない子に比べて大学に進学できる可能性は高いだろう。

学力以外の能力を測るとか、社会的な活動を評価するとかいう総合型選抜(旧AO入試)も、習い事や海外旅行などの豊かな経験を重ねているほうが明らかに有利なのだから、親の年収との関係は大アリだ。

大卒と高卒の格差は歴然

だからといって大学進学を諦めてしまうと、親と同様に経済的な弱者の道を歩むことになる可能性が高い。

大学進学率が50%を超えるような社会では、大卒であることの価値自体、実はあまり高くはない。

しかし、国民全体の学歴が底上げされたぶん、中卒や高卒では社会の低層に沈んだまま浮かび上がれない可能性が高い。

【図表】東大生の家庭の年収分布(%)
出典=舞田敏彦『東大生の親はわが子だけに富を密輸する』(プレジデントオンライン)より作成

実際60歳までの生涯賃金(退職金を含めず)を大卒と高卒の場合で比較すると、男性の場合は約6000万円、女性の場合は7000万円も差のあることがわかっているのだ(『ユースフル労働統計‐労働統計加工指標集‐2020』)。

その差は歴然であり、結局それが我が子の学力の格差へとつながっていくだろう。

このような「格差の再生産」によって、埋めようのない格差は埋める術を持たぬまま、そのまま拡大していくのである。