「読み書きそろばん」以上を求めていない

だからやっぱり大学に行くしかないと奮起して、なんとか学力をつけて受験を突破したとしても、大学に入ったら入ったで授業料に頭を悩ますことになる。

私が東京教育大学(筑波大学の母体となった国立大学)に入学した1966年当時、国立大学の授業料は年間1万2000円だった。

当時の大卒の初任給はおよそ3万円だったが、現在は22万円ほどになっているので、それで換算しても年間9万円程度だから随分割安であったと思う。

しかし、1975(昭和50)年には3万6000円、1976(昭和51)年には9万6000円、1978(昭和53)年には14万4000円、1980(昭和55)年には18万円とうなぎのぼりに上昇していく(図表2)。

【図表】国立大学と私立大学の授業料等の推移
出典=『平等バカ

これは国家の指導層が、資本主義には読み書きそろばんと多少の事務処理ができる知的レベルがある労働者がたくさんいれば十分だと考え始めたせいだと私は思っている。

税金を使ってまで国立大学に通わせて、それなりの教養がある知識人を増やしたところで、資本主義にはたいして役に立たないばかりか、政府の政策にいちいち文句をつける、反政府分子になる恐れのほうが強い。

だったら授業料を高くして、貧乏人を遠ざけてしまおうという魂胆だったのだろう。