「最近、お母さんが機嫌が悪いけど、更年期かな?」と思っている人はいるだろうか。脳科学者の黒川伊保子さんは「原因は更年期だけではないだろう。たとえばベテラン主婦には100の家事が見えても、ほかの家族は20しか見えておらず、感謝がないことにイラついてしまうのではないか」という――。

※本稿は、黒川伊保子『女女問題のトリセツ』(SB新書)の一部を再編集したものです。

雑用は難しいかもしれませんが、私はより厳しいです
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年を取ると勘が働くようになる

長く生きると、人は、「とっさに感知するものの数」が増える。「とっさに感知するものの数」が多いものほど、割を食う。それが世の常なのである。

認知スピードは、20代より、50代のほうがずっと速い。私は、50代に入って、物を落とさなくなった。たとえば、キッチンの上の棚から、タッパーが滑り落ちるようなとき、音と気配で「どこに、どう落ちてくるか」が瞬時にわかるので、ほぼ目視もせずに掴めるのである。作業台の上から滑り落ちる菜箸も、なんと膝で止められる……なんていう話を、同世代の友人に話したら、そこにいた全員が、「私もそう!」と瞳を輝かせたのだ。

新しいものを取り入れる速度は遅くなるが、過去に経験したことがある認知は、めちゃ早い。単位時間に気づけることの数も半端なく多い。

――それが、50代以降の脳の特徴なのである。

と言うわけで、主婦歴20年以上ともなれば、もう、さまざまなものが見えるわけ。風呂上がりに、水道栓や鏡の水滴をタオルで拭い、排水溝の髪の毛を捨て、必要ならばシャンプーやせっけんを補充する。

というのも、水道栓の水滴が目に入り、これを一日置くと、白いうろこ状の汚れになってこびりつくのが「見える」からだ。切れたシャンプーをそのままにしておくと、次に使う時にがっかりする家族(あるいは自分)の姿が「見える」からだ。

「感謝してくれない」主婦の嘆きの根本原因

そんなふうに、ベテラン主婦がこまごま動く傍らで、風呂から上がった20代の娘は、パックして、マッサージして、ドライヤーをかけることに夢中で、自分が落とした髪の毛ひとつ拾おうとしない。彼女が投げた洗濯物は裏返しで、しかもかごから半分はみ出ている。

手伝ってくれとは言わないが、せめて「ありがとう」のひとつくらい言ってくれてもいいじゃないか、と思うのも当たり前だよね。

けれど、娘には、それができない。

なぜならば、見えていないから。水道栓の水滴と「明日の白いうろこ」が見えていたら、それを拭う母にも気づき、感謝のことばが口をついて出るだろう。けれど、残念ながら、水滴なんかに気づいていないのである。

ベテラン主婦は、家族の何倍も見えている。主婦が100見えているとしたら、他の家族には20くらいしか見えていないのではないだろうか。

だから、主婦たちは常に、家族は「わかってくれない」「感謝してくれない」と嘆きつつ、生きることになるのである(1980年代には、こういう主婦たちを「くれない族」と呼んだ)。