私の場合は書物にも親しんでいる。お気に入りは中国古典だが、聖書であろうと歴史書であろうと、般若心経であろうと、歴史のふるいにかかった古典を読まれるといい。

例えば、仏教でいう空(くう)の真意を知ることでも、生きていくことへの姿勢が随分変わってくるはずだ。釈迦が悟りを開いたのは有名だが、ではどうやって開いたのか。六波羅蜜(ろくはらみつ)の実践によってである。それは修行項目のことで、布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智慧の6つを指す。

物にこだわらず、何でも人に施してしまうのが布施、戒律を厳しく守るのが持戒、忍辱は侮辱や迫害を恨まないこと、精進は仏道修行にひたすら励むことで、禅定は瞑想すること、智慧は悟りを開くことだ。

この6つの修行をして釈迦は悟りを開き、空の存在となった。その結果、釈迦は死して朽ちない存在になった。この六波羅蜜を、再就職した会社で実践してみてはいかがだろう。

人生二度なし。これも全年代にわたって強調したい真理だ。人間いつ死ぬかわからないが、50代ということは、20代や30代よりも死に一歩近づいているということだ。1日は一生の縮図である。一刹那、一瞬間の積み重ねが1日になり、1日の積み重ねが1カ月になり、それがさらに積み重なって1年になり、一生になる。時間は有限であるから、無駄遣いは禁物である。死に近づいた50代、この言葉は一層切実なものとして迫ってくるはずだ。

私は40代半ばにソフトバンクに移ったが、それを境に、昔から「時間の無駄」と思っていたゴルフをぴったり辞めた。ゴルフに行くと戸外を歩くからいい運動になる、という人がいるが、それを言うなら、純粋に2時間くらいかけてただ歩いたほうがよほど運動になる。空いた時間を、私は読書と執筆にあてている。そうやって今までやってきたことをすっぱりやめることも、この年代になったら考えてほしい。

給料が激減したということは、仕事が少なくなったわけだから、逆に言えば、自由にできる時間が増えたということだろう。喜ばしいことではないだろうか。趣味でも何でもいい。それこそ先ほど言った読書にも時間をかけられる。職は失わずに、悠々自適の時間が持てたのだから、むしろ感謝すべきだろう。

※すべて雑誌掲載当時

(荻野進介=構成 交泰=撮影)