Q 給料が激減しても再就職すべきか
北尾吉孝●SBIホールディングス 代表取締役、執行役員CEO。1951年、兵庫県生まれ。慶應義塾大学卒業後、野村証券入社。95年、ソフトバンクに入社し常務に就任。著書は『何のために働くのか』ほか多数。

北尾氏回答 仕事の報酬はお金ではない。これは全年代に共通する真理であって、声を大にして言いたい。ではあらためて仕事の報酬とは何か。2つある。まずは「ご縁」である。仕事を通じて知り合った人たちとのネットワークを大切にしていく。厳しい仕事の終わりにやっと手にできる報酬ともいえる。

上司と部下の関係も一種のご縁なのである。過去に世話になった上司が仕事で失敗を犯し、地方の支店に左遷されたとしよう。「左遷された人と付き合っても碌なことがない」と、突然連絡も取らなくなる人がいるが、貴重なご縁を自ら断ち切ってしまう人は、仕事でも決して成功できない。

再就職できたということは、そういうご縁をいただきながら、自らを成長させる機会を再び得られたということ。「お金が足りない」といっても、餓死するわけではないのだから、文句を言っては罰が当たるというものだ。大学を出た新卒の若者のうち、8割しか企業の内定をもらえない時代である。雇ってもらえているだけで「ありがたい」と考えなくてはおかしい。

20代の項で述べたように、とにかく新しい仕事の意味づけを考えながら、淡々と仕事をこなしていけばいい。それなのに、給料は前の会社の半分になってしまった、自分より若いあの人はもっともらっているはずだ、などと考えているのは愚の骨頂である。

仕事のもうひとつの報酬は自分自身の成長である。50や60の声を聞いたら成長なんて無理、という声がどこからか聞こえてきそうだが、無視してよろしい。人間、やる気さえあればいくつになっても成長できるのだ。

江戸時代の名高い儒学者、佐藤一斎が著した『言志晩録』に、「小にして学べば壮にして為すことあり。壮にして学べば老いて衰えず。老いて学べば死して朽ちず」という言葉がある。死んでも朽ちないということは、たとえ肉体が滅んでも生きることに対して常に前向き、心中に向学心を携えて日々を過ごす姿が、子々孫々、あるいは後進たちの心に刻み付けられ、それによって彼ら自身が発奮する、ということだろう。そう、後進のためにも、人間は老いて学び続けるべきなのだ。

学ぶといっても堅苦しく考えなくてよい。自分はいかに生きるべきか、何のために生を受けたのか、どうしたら心安らかに暮らせるのか、40代の項(>>記事はこちら)で述べた自得の実現に向けて、日々精進を積んでいけばよい。