「漢字の書き取り○ページ」は単なる苦行

漢字の指導については、そのうち書けるようになるよう「ぼちぼち」くらいでいいのである。将来困ることは特にないだろうが、書ける方が何かと便利だし、楽しいし嬉しいということを教えればよい。授業冒頭で少しずつ新出漢字を教えて個別に練習する時間をとり、定期的に小テストを行う。小テストの前にも自分でテストしてみる時間をとり、間違えた字は自分なりに家でも練習をしてくるのである。これを続けているだけで、漢字はぼちぼち書けるようになる。

松尾英明『不親切教師のススメ』(さくら社)
松尾英明『不親切教師のススメ』(さくら社)

ちなみにこの指導の間、特にノートを集めたり進捗状況をチェックしたりはしない。一律の漢字書き取りのような宿題も出さない。不親切教師のスタンスとしては、本人の自由な選択と結果への自己責任が基本である。

つまり、漢字練習もセルフチェックであり、どれくらいの量をするか、あるいはしないかも自己決定できる。教師にどうしても直接見てもらいたいならば提出してもいいのだが、どちらかというとその漢字の間違えやすいポイント(例えば、「春」ならば五画目の始まりの位置)を大きく板書して、自分で点検させた方が学力向上には効果的である。

また、子どもの将来を慮っての親切心からだとは思うが、冒頭で触れたような「漢字の書き取り○ページ」「漢字をノートに○行書いてくる」といった類の宿題の出し方そのものも、考えものである。

既に書ける字を何個も書くという、単なる苦行としか思えないその単調な行為の目的は、一体何なのであろう。語彙力は個人差の大きいものなのだから、取り組み方については一度教えたら、不親切と言われようが後は個々に任せればいいのである。必要な子どもは自分なりに必要な字を覚える努力をしてくるし、既に覚えている子どもは不要なのでやらないというだけである。

「漢字が書けないと将来困る」などというウソの脅し文句を決して使わない。一方で、新出漢字についての一通りの指導は漏れなく行い、取り組み方については自己決定を続けさせていく。このあたりの指導のバランス感覚が求められるところである。

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