実家に出戻っての暮らし、父親が大動脈解離
離婚した早瀬さんは、1歳半になった息子を連れて実家を訪れ、「実家に戻らせてほしい」と両親に土下座して頼んだ。
父親は、「事情が事情なだけに仕方ない」と受け入れてくれたが、もともと結婚に大反対していた母親は、「ほら、やっぱり」と一言。
その頃、父親は77歳、母親は74歳。50代の頃に狭心症で倒れ、4カ月ほど入院していたことがある父親は、以降、健康オタクになり、食事や運動など気をつけていた。60歳で定年退職すると、その後嘱託として同じ会社で働き、65歳で完全に退職すると、高齢者専用フィットネスに週1回通い、トレーナーの資格を取得。週1でジムでの指導ボランティアをするほか、月2〜3回社会福祉法人のボランティアに参加し、障害者向け絵画教室のアシスタントを務める。そのうえ、株式投資もしており、会社説明会や株主総会へ出かけるなど、定年後の暮らしを積極的に楽しんでいた。
同じく母親も、65歳で社員食堂のパートを辞めると、その後は父親と一緒に高齢者専用フィットネスに週1回通うほか、週2回フォークダンス教室、週1回体操教室へ通い、充実した老後を送っていた。
正社員として働いていた早瀬さんは、1歳半の息子の保育園の送り迎えは、車の運転ができる父親に一任。体調が優れないときの通院なども、率先して担ってくれた。
母親は食事の支度や洗濯など、家事全般を担当。時間があるときは、父親が保育園の送迎に出るときに、同行してくれるなど、積極的に孫育児に参加。花火大会や地域の行事に連れ出すなど、唯一の孫をとてもかわいがってくれた。
「両親とも、口では私に文句ばかり言っていましたが、なんだかんだでよく面倒を見てくれました。わが家に常に笑顔があるのは息子のおかげと思っています」
ところが、実家での穏やかで幸せな生活は、そう長くは続かなかった。
2020年に父親は、早瀬さんが仕事で不在の時間帯に大動脈解離を起こし、激痛に悶え苦しみ出した。それを見た母親と息子が救急車を呼ぼうとしたが、パニックになって消防車や警察を呼んでしまった。
何とか無事病院に搬送され、緊急手術を受けた後、約3カ月で退院でき、早瀬さんたちは胸をなでおろしたが、ほっとしたのはつかの間だった。
2021年になると、父親は腰の痛みを訴えるように。整骨院や整形外科へ通院したが、一向に良くならない。痛み止めを処方されるが、それでも痛みは治らず、ついに4月末頃、「痛くて眠れないから救急車を呼んでくれ」と深夜に起きてきた父親は、早瀬さんに頼んだのだ。
救急車が到着すると、目を覚ました母親が同乗。父親のことが心配だった早瀬さんは、10歳になっていた息子を起こし、自家用車で病院へ向かうことに。
時はコロナ禍。父親を乗せた救急車は、ほとんどの近隣病院に救急搬入を断られ、行き先が決まったのは、約40分かかる遠方の病院だった。(以下、後編へ)