この根拠のない「自分は大丈夫」「まだ大丈夫」というバイアスは、先ほどの診察室の例にもあるように、医療においてもよく見られます。
たとえば、血圧や血糖値、コレステロール値がかなり高くて、「この先10年以内に心筋梗塞を起こす確率が20%ありますよ」と言われたとします。
20%ということは5人に1人です。かなり高い確率ですが、これを合理的に解釈するのではなく、「自分には起こらないだろう」「20%に入ることはないだろう」と、なぜか自分に都合よく解釈してしまいやすいのです。
ケーキのおいしさは想像できるが心筋梗塞のつらさは想像できない
また、ダイエット中だったり、血糖値やコレステロール値を気にしていたりしても、目の前においしそうなケーキがあれば、つい手を伸ばしてしまう人は多いですよね。あるいは、お酒のおつまみで、つい揚げ物を頼んでしまう、とか。
そうした行動の背景には、「現在バイアス」や「損失回避バイアス」があります。現在バイアスとは、将来に得られる大きなベネフィットと、今すぐ得られる小さなベネフィットを天秤にかけると、後者を選択してしまいやすいという心理です。
甘いものや、脂肪分の多いものを食べすぎてはいけないことはわかっていて、将来の健康を損なうかもしれないと思いつつも、長生きや健康といった将来得られる大きなベネフィットよりも、目の前のケーキ・揚げ物を選んでしまう。将来のベネフィットは遠くて見えづらいので、つい目の前のおいしいものを高く評価してしまうわけです。
たとえば、「そのままでは将来心筋梗塞になるかもしれませんよ」と言われても、一般の人は、「心筋梗塞になったらどうなるのか」がわからないので、将来の健康のありがたみをリアルに想像することはなかなかできません。その一方で、目の前のケーキや揚げ物のおいしさはリアルに想像できるので、両者を天秤にかけている意識もないまま、後者を選んでしまうわけです。
今後起こり得ることの重大さを実感していただくために、よく外来で「心筋梗塞は命を奪われる病気です。20%のリスクですから、1つだけ弾を残した銃を5人で回すロシアンルーレットをしているようなものです。5人中4人は弾が出ません。でもあなたはその生活習慣を続けるためにそのロシアンルーレットを勧められたらやりますか?」というと大概の患者さんの目の色が変わります。
1万円を拾った嬉しさよりも落としたショックのほうが大きく感じる
もうひとつの損失回避バイアスは、報酬よりも損失のほうを大きく評価してしまうこと、つまり“得する”ことよりも“損しない”ほうを選んでしまいやすいという傾向です。
たとえば、あるとき道端で1万円拾い、その数日後、1万円落としたとしましょう。どちらが心理的なインパクトが強いかというアンケートを取ると、「落としたほう」と答える人のほうが多いということがわかっています(保有効果)。同じ額であっても、損失のショックのほうが大きいのです。
だから、損失を避けたいという心理が働くので、先ほどの例でいえば、目の前のケーキや揚げ物を食べる機会は捨てがたく、それらを選ばなかった先に得られるはずの健康は見えなくなってしまいます。
こうした心理的背景があるので、私たちは、大の大人でありながら、なかなか合理的な選択ができないのです。