成功事例2:サントリー「伊右衛門」
良い嫉妬をすることで飛躍を遂げたブランドの事例としては、サントリー「伊右衛門」を取り上げよう。日本の緑茶市場では、1989年に発売された伊藤園「お~いお茶」が大ヒットし、緑茶飲料の代名詞になるほど、王者「お~いお茶」の一強時代が長く続いていた。そこに割って入り、一強時代から二強時代に変えたのが伊右衛門だった。
烏龍茶の王者であるサントリーは、緑茶の王者「お~いお茶」の牙城をなかなか崩せずにいた。そこで、ある種の変化球で勝負に出たのが、緑茶・ウーロン茶・紅茶に次ぐ第4のお茶であるプーアール茶の商品開発だった。自社の開発技術を結集させて最高の味を追い求め、オンリーワンの究極の商品として2001年に「熟茶」が発売された。しかし、この熟茶は、試しに飲んでもらうファーストステップに失敗し、「サントリー史上最悪」とまで言われる大失敗に終わってしまう。その結果、苦境に陥った開発チームが、次でダメなら会社を去るという思いで新たに企画したのが、伊右衛門の企画だった。
サントリーに欠けているものを導き成功した「伊右衛門」
伊右衛門の企画は、当初「NZ」企画と名付けられていた。Nは「日本茶」、Zは「開発に失敗したらもう後はない」を意味し、背水の陣の日本茶企画だった。「熟茶」では、ライバルや飲む人のことよりも、自社発想で技術力を重視して開発する「プロダクトアウト」の発想で失敗した。その反省を活かし、「お~いお茶」に勝つため、徹底的にライバルや飲む人を分析して開発する「マーケットイン」の発想を採用した。
開発チームは、「トップシェアに君臨するメーカーには、サントリーに欠けているものが何かあるはずだ。その何かを突き止めることが成功へのカギ」と考え、ライバルに対して良い嫉妬を抱き、その長所を正当に評価したうえで、商品企画を考え抜いた。その結果、日本人にとって「本当のお茶」として、急須で飲む安らかな「新しいけれども、ど真ん中の緑茶飲料」を目指した。企画の柱となったのは、日本的スローライフ感の具現化、急須で入れた本格的な味わいの具現化、そしてお茶の作り手の顔が思い浮かぶことの3つだ。
この3つの柱を実現させるためには老舗茶舗との提携が不可欠と考え、サントリーが口説いた相手が京都の老舗・福寿園だった。福寿園は、「伝統とは、歴史と未来を融合させる足し算の発想で継承できるもの」という考えを持ち、伝統と革新の「二兎を追う」経営をする革新的な老舗であり、最良のパートナーとなった。
新たな取り組みに伴う数々の困難を乗り越え、4年がかりで伊右衛門は開発された。お茶の老舗とのコラボによる斬新さと本物感、突き抜けた美味しさの実現、竹筒の形が特徴的なボトルの採用、福寿園の創業者の名前である「伊右衛門」を商品名にする英断、そしてお茶づくりに没頭する「伊右衛門」と寄り添う妻の静かに実直な本物感を伝える広告。すべての要素が合わさり、2004年の発売時には即座に売り切れ、発売4日目には出荷停止となる異例の大ヒットとなった。