相手が変わらないなら自分が変わるしかない
ここで気づくのは、ショーペンハウアー的態度もディルタイ的態度も、ベクトルは違う方向を向いていても、共通している点があるということである。
前者は、あきらめという後ろ向きな態度であるように見えて、しかし自分の他者に対する見方を変えようとしている。後者は、すり合わせという前向きな態度でもって、やはり自分を変えようとしているのである。
したがって、いずれも自分を変えようとしている点では共通している。考えてみれば、これは当然のことで、他者が変わらないなら、変えられないなら、自分が変わるしかない。その方法が若干異なるだけなのである。
後ろ向きに変わるか、前向きに変わるか、である。
状況に合わせてコロコロ転がればいい
私自身は後ろ向きでも前向きでも、どちらでもいいと思っている。というよりも、状況に合わせてコロコロと変わればいいのだ。前後に転がってもいい。コロコロと態度を変えるというと、なんだか悪いことのように聞こえるが、そうともいえない。
もともとコロコロという表現は、丸いものが転がるさまからきている。丸いから転がるのだ。これを性格に当てはめると、とたんにいい意味になる。人間が丸くなったとか、丸い人だとか──。それは性格の面での柔軟性を指しているはずだ。
世の中に不条理なことが増え、人々がギスギスしてくると、なおさら対立しがちになる。そんななかで「人間関係」をうまく築き上げていくためには、自分が丸くなるのが最善なのである。日和見主義といわれようと、右顧左眄といわれようと、それすら気にしないのが丸い性格である。