ノモンハン敗戦の後遺症は政治にも影響

いや、軍部ばかりでない。第二次近衛内閣はその組閣前の首相、外相、陸相、海相の候補との会談で、日独伊三国同盟の強化とならんで、日ソ不可侵条約締結を外交方針として早々ときめている。さらに七月二十二日の大本営政府連絡会議で「速やかに独伊との政治的結束を強め、対ソ国交の飛躍的調整をはかる」ことを正式に国策とする。どちらも陸軍中央の原案にもとづく決定なのである。ソ連を主敵としてきた明治いらいの国策はどこへいったのか。

これはもうノモンハン敗戦の後遺症以外のなにものでもないのではないか。陸軍はあつものに懲り懲りしたのである。それが政治の分野にまで大きく浸透し影を落としていた、というほかない。そこに、やがて日本の主要外交路線となった「日独伊ソ四国同盟」という夢みたようなことが主張される温床もあった。

昔も今も変わらない日本の「情けなさ」とは

ノモンハン事件の衝撃波は、どのくらいの強度と持続性とを日本の軍政関係に与えていたことか。実のところ、ノモンハン事件の研究は、戦況についてはかなり進んできているが、その政治的な意義についてはほとんど着手されていない。そこに今後の問題があるであろう。

それにしても、日本はかつて、そしていまも、自身の構想はなく、常に外側からの圧力によって軌道を修正し、調節して、政策らしきものをつくってきたようである。情けないというのはその意でもある。

「好機南進」の戦略的政治情況は、目先のきく服部や辻が巧みに舵をとって造ったものか、あるいはその風潮に彼らが乗ったのか、それは定かではない。しかし、二人とももはや「北」には目を向けなかったのは確かである。かわりに「南」へ、対米英戦争への道を強力に切り開いていった。このコンビにとってのノモンハン事件のもっとも悲しくも情けない戦訓は、それであった。

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