マフィア社会に通ずる日本の自助社会
社会保障制度の支援が届かず、「ヨコの不信」と「タテの不信」が絡まり合いながら広がることで、「自己責任でやるしかない」と多くの人が追い詰められる自助社会。このような社会は、一見、バラバラの個人から成り立っているように思えます。
しかしその実態は、かなり異なります。自助だけで人生を生きていくことなど誰にもできないがゆえに、家族、企業、地域、市場に、ケアやリスクに対処する機能が埋め込まれていかざるをえない。しかし、それは相互信頼に基づく対等な関係ではなく、男性優位のジェンダー秩序や金銭的な関係、あるいは親分・子分関係などによる依存関係です。
スウェーデンの政治学者ボー・ロトシュタインは、市民間の「ヨコの不信」が政府への「タテの不信」に連動し、自助頼みになることが、結局は親分・子分的あるいはマフィア的関係を増殖させることを、映画『ゴッドファーザー』のエピソードから説明しています(注)。
注:Rothstein Bo “Social Capital and Institutional Legitimacy”, A paper presented at the 2000 Annual Meeting of the American Political Science Association, Marriott Wardman Park, Washington, DC, August 31–September 3, 2000.
この映画の冒頭、マフィアのボスであるドン・コルレオーネをイタリア系移民の葬儀屋が訪ねてきます。彼の娘が2人のアメリカ青年に暴行され、警察に行って裁判になるも青年たちはWASP(アングロサクソン系の白人プロテスタント)ゆえに無罪放免になったという。彼らに制裁を加えることを懇願する男に対して、ドンはアメリカ的価値を信じた「愚かさ」をなじり、その依頼に応えることを約束した上で、この借りはいつか返すようにと申し渡します。
日本社会がマフィアの社会と同じだと言いたいのではありません(けっこう似たところもありますが)。ここで強調されているのは、自助社会は、いろいろなリスクを私的に解消していくための、さまざまな権力的な相互依存関係を不断に生み出していくのだということなのです。
自助社会は歪んだ依存関係を生み出す
社会心理学者の山岸俊男は、日本社会における相互信頼関係について国際比較の視点から分析し、日本社会が「信頼社会」になりえていないことを実証的に明らかにしました。同時に山岸は、日本には信頼の代わりに裏切ることが難しいような「コミットメント関係」を形成することで、社会の不確実性を減少させ、安心を得ようとする傾向が強いことを指摘しています(注)。このような指摘もまた、ロトシュタインの議論とも重なるでしょう。
注:山岸俊男『安心社会から信頼社会へ 日本型システムの行方』中公新書
自助社会とは、ここかしこに、こうした歪んだ依存関係を生み出し、ジェンダー、人種、階層などをめぐる権力関係を増幅させていく社会なのです。