※本稿は、宮本太郎編著『自助社会を終わらせる』(岩波書店)の一部を再編集したものです。
人間は誰かの支えなくして生きられない
自助社会の成り立ちを考えたいと思います。
社会は多様なリスクに満ち、私たちはいとも簡単に誰かの支えなくしては生きていけない状況に陥ります。にもかかわらず、私たちはこれまた簡単にそのことを忘れ、「自助幻想」に囚われがちです。
「朝は4本足、昼は2本足、夜は3本足、この生き物は何だ?」というなぞなぞはお馴染みでしょう。ハイハイをしていた赤ちゃんがやがて「自立」し、最後は老いて杖をつくという人の一生を問うたものです。
このなぞなぞは、もともとは古典的悲劇の題材となった「オイディプス神話」のなかで、スフィンクスが道行く旅人たちに投げかけたものです。男性が主と思われる旅人たちは、ケアを受けていた子どもの頃のことは思い出したくもなく、ケアがまた必要になる先のことは考えたくもない。「成育と老いのリスク」を忘れ、人間は自助でやっていくと思っている。だからこのなぞなぞに答えられず、スフィンクスに食べられてしまうのです。
このエピソードは、「ケアレスマン・モデル」という言葉を想起させます。ケアレスマン・モデルとは、多くの男性が育児や介護に自ら携わらないゆえに、人間にとってのケアの価値が分からず、自助幻想に囚われることを指します(注)。ケアに関わらないケアレスマンは、ケアの価値にケアレス(無関心)となってしまうがゆえに、スフィンクスの餌食になってしまう、ともいえるでしょう。
注:杉浦浩美「『労働する身体』とは何か 『ケアレス・マン』モデルからの脱却」『人間文化研究所紀要』四、東京家政大学人間文化研究所
さて、このなぞなぞを解いてスフィンクスを退治し、都市国家テーバイの王になることができたのがオイディプスでした。彼は、人生につきものの「成育と老いのリスク」は見通していた、ということができます。