人々が土地を買い漁った
開発ブームに沸いた高度成長期は、所有地を住宅団地やゴルフ場、レジャー施設などの開発用地として売却し、大金を手にする地主が続出した。
土地需要が高まり地価は上昇を続けた。多くの人が「土地所有こそが資産形成の最も堅実な手段」であると信じていた時代である。
そのため使う予定がなくても、人々は現金を土地に替えた。投機熱は住宅用地に及び、ついには投機目的に特化した分譲地まで登場する始末となった。
1970年代は、北海道などの僻地にある無価値な原野や山林を、あたかも資産価値の高い不動産であるかのように騙って分譲する「原野商法」が大きな社会問題になった。原野商法の土地も、まさに紛れもない投機型分譲地の一種であった。
前述の富里市の分譲地は今日でも住宅用地として利用されている。周辺は都市化とは無縁であり、分譲当時と大差はないであろう農村風景が今も残されたままだ。
広告に記載されている八街駅からのバス路線は廃止されて久しい。民間バス撤退後に走っていた市営のコミュニティーバスすらも廃止された交通空白地帯の中にある。
空き地は「売れ残り」ではない
分譲地に一歩足を踏み入れて、最初に目につくのは空き地の多さだ。
季節は夏なので、どの空き地も猛烈に雑草が繁茂しているが、これは家屋が取り壊されて更地にしてあるのではない。大部分が分譲当初から今日まで一度も家屋が建てられることもなかった空き区画である。
この光景を見ると、立地が不便だから分譲はしたものの販売が振るわず、空き地のまま売れ残っているのだと考える方がいるかもしれないが、それは大きな誤解である。
この富里市の分譲地に限らず、この時代に販売された分譲地は、いったんは完売しているのが常である。よほど特殊な事情でもない限り完売する。北海道の原野であろうとも。
各エンドユーザーの手に渡った区画が、その後の土地ブームの収束と地価下落で流動性を失った。家屋は建たず、活用されずに放置されているのだ。
空き区画には、小さな看板が立てられているところもある。「○○様所有地」と、所有者の姓と会社名が記載されている。
これは、遠方に住む土地所有者から委託を受けて、定期的に土地の草刈り・清掃業務を請け負う地元の管理会社のものだ。管理会社にはその土地の仲介業務も兼務するところもある。