まるで民主化が進んだかのような宣伝が続いた

この電報の中で、ニューマンは、もし予測に対処しなければ、国民の支持が衰えるのではないかという恐れを表明した。「いきなり驚かないように、そしてすべてが逆転したと見えないように、アメリカ国民に覚悟させておくことが重要だと私は思った」とニューマンは外交口述歴史インタビューで語った。

しかし、国民はブッシュ政権からそのような率直な話を聞くことはなかった。大使が電報を送った直後のアフガニスタンへの大統領訪問で、ブッシュは暴力のレベルが上昇したとか、ターリバーンが復活した、といったことには言及しなかった。その代わりに、民主主義と報道の自由の確立、女子のための学校の設立、起業家階級の成長、といった改善点を宣伝した。

「われわれはあなたの国の進歩に感銘を受けた」とブッシュは3月1日の記者会見でカルザイに語った。

2006年3月1日、ブッシュ大統領がアフガニスタンに電撃訪問。カルザイ大統領(右)と握手するブッシュ米大統領(左)。ブッシュ大統領のアフガン訪問は初めてだった。※肩書はいずれも当時
写真=AFP/時事通信フォト
2006年3月1日、ブッシュ大統領がアフガニスタンに電撃訪問。カルザイ大統領(右)と握手するブッシュ米大統領(左)。ブッシュ大統領のアフガン訪問は初めてだった。※肩書はいずれも当時

戦争の縮小を訴えるも拒否されてきた

ブッシュ、オバマと同じように、トランプはアフガニスタンで勝つという約束を果たすことができなかった。あるいは、彼が「永遠の戦争」として嘲笑したものを終わらせることができなかった。

代わりに、彼は未完の作戦を自分の政治的ライバルであるジョセフ・バイデンに手渡した。バイデンはアメリカ史上最長の武力紛争を監督する4番目の最高司令官である。

バイデンは20年間、戦争の弧を綿密に追いかけており、2002年の初めにアメリカ上院議員として初めてアフガニスタンを訪れた。ブッシュ政権時代には、国を安定させるためにアフガニスタンにもっと多くの部隊と資源を送ることを要求した。

しかし、2009年にオバマの副大統領になる頃には、バイデンはアメリカがアフガニスタンで何を成し遂げることができるかについて、懐疑的になっていた。

ホワイトハウスでの内部審議において、バイデンはオバマに、戦争を拡大した費用のかかる対反乱戦略を拒否するように促し、代わりに部隊の増派の小規模化を要求した。2011年、オバマに対して、海軍の特殊部隊、シールズをパキスタンに送ってウサーマ・ビン・ラーディンを追い詰めないように助言し、任務は危険すぎると主張した。どちらの場合も、彼の助言は無視された。