レール幅も車両もバラバラ…どうやってつなぐ?

ただ蒲蒲線の実現には大きなハードルがある。鉄道に詳しい人でなくとも気付いたかもしれないが、東急のレールの幅は1067ミリ(狭軌)、京急は1435ミリ(標準軌)なので、トンネルをつないだところで列車は乗り入れられないのだ。

これを解決するためには、新幹線(標準軌)と貨物列車(狭軌)が走る青函トンネルのように、レールを3本設置することで両方の軌間に対応する三線軌条構造とするか、逆に車両側で車輪の幅を変更するフリーゲージトレインを導入するしかない。

日本の電車
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さらに東急は1両あたり全長20メートルで片側に4つの扉が付いた車両を使っているのに対し、京急は全長18メートルで3扉の車両なので、ホームの長さやホームドアのピッチなどが合致しない。

前述の通り、蒲蒲線は当初から東急線と京急線を直通運転させる構想だったが、必ずしも技術的な裏付けがあったわけではないようだ。そのため2000年の答申は「大鳥居駅において京浜急行電鉄空港線と接続(乗換)する」路線としており、中間駅での乗り換えを前提としていた。2005年に大田区が取りまとめた調査報告でも、蒲田、京急蒲田、大鳥居のいずれかで乗り換えが必要で、このうち蒲田乗り換えが適当との結論だった。

ちなみに2005年5月10日の大田区議会交通問題調査特別委員会における交通事業課長の説明によると、調査報告の前提となる想定運行計画は、東横線の急行4本を多摩川駅から乗り入れさせ、東急多摩川線の普通20本と合わせた24本が蒲田の新地下ホームに到着。一方、羽田空港からは品川方面に6本、横浜方面に6本、蒲蒲線方面に6本を設定し、大鳥居から蒲田駅まで直通する。乗客は蒲田の同じホームで乗り換えるというものだった。

構想を2つに分け、「矢口渡―京急蒲田」から着手へ

ではいつ頃から空港線への直通運転構想が具体化していったのか。大田区議会の議事録を検索する限り、区がフリーゲージトレインに言及したのは2004年4月20日の交通事業本部長の答弁が最初のようだ。この時は技術開発の動向を見守りつつ、蒲蒲線への導入可否を研究しているとしていた。

潮目が変わったのは2014年頃のことだ。2015年1月20日の交通問題対策特別委員会における交通企画担当課長の答弁によれば、2012年までの蒲蒲線構想は東急線と京急線からそれぞれ単線で延伸し、東急側の蒲田駅で同じホームで乗り換えするという案だった。それが2014年に東急線を京急蒲田の地下まで延伸し、その先はフリーゲージトレインにより京急線に乗り入れ、相互直通運転を行う構想に変化したのだという。

これには2010年に新たな滑走路の供用開始によって羽田空港に国際線定期便が設定可能となったことや、2013年に東京オリンピック・パラリンピックの招致が決定したことなど、羽田空港の重要性が増したという背景があったと見ることができるだろう。