米国相手に7000万円を勝ち取る大勝利
シタイヒャー、玉城ウシは勝訴した!
琉球裁判所は、ウシとラッパの言い分を全面的に支持。布令十七号に書き記された課税対象品目は、「限定」の制限列挙だと認定し、玉城ウシが納付した「サンマ税」を「誤納金」だとして還付を命じたのだ。
ウシおばぁ完全勝利! 沖縄には「誠そうけぇ、なんくるないさ」という黄金言葉があるが、「おかしいことは、おかしいさぁ」と信念を貫いたウシおばぁのサンマ裁判は、まさに「誠そうけぇ、なんくるないさ」となった。
なんとウシおばぁには四年半の間に支払った税金と同じ金額、要求通りの満額回答、四万六九八七ドル六一セント、現在の価値に換算するとおよそ七千万円という大金が返ってきた。
裁判の結果は魚屋のおばぁに負けた格好になってしまったキャラウェイ高等弁務官。そりゃあもう歯ぎしりするほど悔しかったに違いない。
そして「日本本土復帰」へとつながっていく
その後、高等弁務官の強引な布令の変更により、ふたたびサンマへの法外な税金がとられることになった。しかし、1963年のサンマ裁判でウシさんがアメリカに一矢報いたことは「日本復帰」を望む沖縄の人々に大きな勇気と勢いを与えた。
この裁判に続けと、沖縄の自治権をめぐって大騒動となる「第二のサンマ裁判」(1965年)や、全沖縄の教師たちが立ち上がる「教公二法阻止闘争」(1967年)といった沖縄史に刻まれる、日本復帰を求める運動が巻き起こるのだ。
魚屋のウシおばぁが、半世紀も前に起こした「サンマ裁判」。税金を返せ!と訴えたウシさんには、そんなつもりは毛頭なかっただろうが、「サンマ裁判」は結果的には沖縄の「民主主義」を賭けた闘いのうねりとなったのだ。
おかしいことには「おかしい」と声をあげる。その当たり前の事こそが「民主主義」の原点。それが、サンマ裁判を取材した僕の結論だ。
そして、沖縄は今日も、「民主主義」を求めて声をあげている。