高倉健の妻役に抜擢された、まさかの理由

――奥さん役を加藤さんに決めたのは、降旗康男監督なんですか?

わたしが『居酒屋兆治』に出演することになったのは、高倉健さんの考えだったんじゃないかと思っているんです。あるシーンの撮影中に、そう気づいたときがあって。

『居酒屋兆治』の中で、高倉さん演じる兆治が先輩を殴って留置所に入れられて、わたしが迎えに行くシーンがあるんです。その日はお祭りの日という設定で、私は函館の大通りを練り歩く祭りの群衆越しに、警察署から健さん扮する夫が出てくるのを、ただ立って待っているという場面です。

高倉さん扮する兆治が警察署から出てきて、私が駆け寄ろうとするのだけれど、祭りの群衆でなかなか通りを渡れない。カメラは遠くから撮っていたので、いつ回しているのかもわかりません。わたしが「あ、出てきた」と気づく一瞬を撮るためのカットだったので、セリフもなくて、演技指導も何もないんです。

それで、そのシーンを撮り終えたら、降旗監督とカメラマンの木村大作さんが駆け寄ってきて、「登紀子さん、ほんとによかった。素敵だった」って言うんです。「あの立ち方は普通の人にはできない」と褒めてくれる。

そこで、はっと気づいたんです。私が健さんの妻役に選ばれたのは、このためだったんだなと。

私の夫、藤本敏夫は学生運動のリーダー的存在で、獄中結婚したあと、何度か警察に逮捕されたことがあったんです。だから、実生活でも警察に夫を迎えに行ったことは何度もありました。私は結局、そのリアリティのために、この作品にキャスティングされたんだなと。

劇中で唯一の健さんとの「からみ」

――まさか、そんな理由でキャスティングされたとは。なかなかないですよね。

この話には続きがあって。警察署から釈放された後、函館の運河をふたりで歩くシーンがあったんです。あの高倉健と腕を組みながら……。嬉しくてドキドキしちゃって。

『居酒屋兆治』の撮影風景。加藤さんが高倉さんと腕を組んで歩いた思い出のシーン
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『居酒屋兆治』の撮影風景。加藤さんが高倉さんと腕を組んで歩いた思い出のシーン

とはいえ、撮影だからやっぱり体は緊張して、思わず「はあ~」って深いため息が漏れたんです。

そしたら健さんが、ぼそっと「思い出すんですか?」って聞いてきて。それも、ものすごくいい声で。

健さんは、私が夫を警察に迎えに行ったときのことを思い出して、ため息が出たのだと思われたようなんです。その唐突な一言で、私はますますドキドキしちゃいました。この作品で夫婦役で共演させてもらったけれど、健さんとの身体の接触はその1回だけです(笑)。

あとから気づいたのですが、田中さんに「妻役は加藤登紀子がいい」と言ったのは、おそらく健さんじゃないかなと。健さんが道をつけてくれたんだなと思うと嬉しかったです。