歌手としての高倉健のリアリティ
――映画のエンディングでは加藤さんの曲『時代おくれの酒場』を健さんが歌っていますが、あれは最初から決まっていたのですか?
『時代おくれの酒場』は『居酒屋兆治』に出る6年前に作った曲なんです。
じつは、私は『居酒屋兆治』よりも前に一度、健さんに会ったことがあるんです。
健さんが『冬の華』(1978年)の撮影をしていたときに、ある雑誌の企画でインタビューをしに京都に行きました。そのとき、ちょうどドーナツ盤『時代おくれの酒場』(1977年)を持っていたので差し上げたんです。
その6年後に、『居酒屋兆治』に出演することになったわけですが、降旗監督にお会いしたときに「ロケハンの時、あの曲をみんなでずっと聴いてました」とおっしゃって。それで私は、「健さん、映画のラストに歌ったらいいのにね」って言ったんです。でも、降旗監督によれば、健さんは、なかなか歌ってくれないという話でした。
しばらくして、函館の湯の花温泉でクランクイン前の大宴会があったんです。「映画ってこんなに大勢の人が関わってるのか」と思うくらいの規模で、びっくりしました。
私は前もって「ギター持ってきてくださいよ」と言われていたので、余興でギターを弾きながら歌ったんです。『時代おくれの酒場』も歌ったと思います。
それで最後に『網走番外地』を歌ったんです。あの歌は、持ち歌だったから。
それで、間奏のときに健さんの席に行って、「2番は高倉健さんに歌っていただきます」とマイクを向けたら、なんと奇跡が起きたの。
「健さんはこういう時は絶対歌わないのに、今日は歌ってくれた」って、みんながびっくりしていました。
そんなことがあって、降旗監督やスタッフと「なんとか健さんに歌ってもらおう」という流れになったんです。
健さんが歌うなら、曲や詞はなんでもいい
じつは、他にもこの映画用に曲を作ったんですが、降旗監督は「やっぱり『時代おくれの酒場』がいい」と言われて。映画のストーリーに合った歌でしたからね。
それでテーマ曲に決まって、健さんが歌ってくれることになりました。
――歌手としての高倉健さんは、いかがでしたか?
素晴らしかった。あの声、あの深い声がいいの。健さんが歌うなら、曲や詞はなんでもいいんです。健さんが歌うだけでリアリティが出てくる。健さんが歌えば本当のことだと伝わる。嘘ではないとみんながわかる。そんな歌手、いないですよね。少なくとも、私は1人も知りません。