全国18カ所にゴルフ場を展開する太平洋クラブは、2012年に経営破綻。ゴルフ業界で屈指のブランドは一度、地に落ちた。ところが、遊技業界大手のマルハンが太平洋クラブのスポンサーとなると、数年で「名門ゴルフ場」として復活した。いったい何をやったのか。『名門再生 太平洋クラブ物語』(プレジデント社)を出すノンフィクション作家の野地秩嘉さんが書く――。(第1回/全4回)
インタビューに答える太平洋クラブの韓俊社長
写真提供=太平洋クラブ
インタビューに答える太平洋クラブの韓俊社長

「ゴルフのことなど何もわからないくせに」

太平洋クラブは一度破綻している。遊技業界トップのマルハンからやってきた社長、韓俊(ハン シュン)は倒産して気落ちしていた従業員を元気づけ、力を引き出し、翌年には利益を出し、数年で同社を再生させた。そして、地に落ちた太平洋クラブという名門ブランドの価値を向上させている。

「ゴルフのことなど何もわからないくせに」と陰口をたたかれながらも、韓俊は同社のすべてのコース(18カ所)を黒字化した。

4回の連載記事は業界の外から来たアウトサイダーがゴルフ業界の慣習を打ち破り、会社と働く人間を再生させた物語である。

コロナ禍でゴルフ人気は復活したが…

コロナ禍になって、「密にならない」スポーツ、ゴルフの人気は上昇し、プレーする人は増えた。ゴルフ場、ゴルフ練習場とも休日の予約を取るのは難しくなっている。

しかし……。

すべてのゴルフ場が活況を呈しているわけではない。人気のあるゴルフ場とあまり人が行きたがらないそれに二極化している。

日本ゴルフ場経営者協会(社)は毎年、秋になると国内にあるゴルフ場の数を発表している。ゴルフ利用税の徴税データに基づくもので、最新の数字となる2020年のそれは2216カ所。前年に比べて11カ所、減少している。より以前の推移をみると、ゴルフ場の数は2002年が2460カ所とピークで、以降は減り続けていることがわかる。

1980年代にはゴルフ場が増殖した。それはゴルフブームと不動産投資ブームからだった。当時、会員権を発行し、預託金を集めてからゴルフ場を造成する企業が数多く現れた。だが、株や不動産と同じようにゴルフ場の会員権相場が上昇していたのはバブル景気の少し後までで、その後、日本経済が「失われた20年」と呼ばれ停滞すると、ゴルフ会員権の価値は右肩下がりになっていったのである。