「太平洋クラブはもう終わった」
「パチンコ屋に名門のゴルフ場が経営できるはずがない」

そう公言する者も少なくなかったのである。

だが、辛辣しんらつに評していた業界関係者は間違っていた。

韓俊は太平洋クラブを立て直し、ブランド価値を上げ、国内で得た実績をもとに海外クラブとの提携をすすめた。会員にとって現在の太平洋クラブはかつてよりもはるかに価値を感じるゴルフクラブになっている。

韓俊は慎重な男だ。彼は太平洋クラブの再生を考え始めてから、正式に社長に決まるまでの間、一度もゴルフをやらなかったし、太平洋クラブのコースだけでなく、一般のゴルフ場にも足を踏み入れなかった。

「太平洋クラブの買収を考え始めてから、ゴルフと太平洋クラブから距離を置くことにしました。御殿場コースで開かれたトーナメントを見には行きましたが、プレーはしていません」

コースやサービスの評価が高ければ再生できる

「それは現場で働く人たちのことを考えたからです。買収も決まってないうちから、候補の会社の人間が何度も出入りして、プレーをして笑い声でも立てようものなら、現場で働いていた人たちは平静な気分ではいられないでしょう。

私ならそういう人たちにスポンサーにはなってほしくない。ですから、私たちは現場でプレーをすることなく、現場へ行くことも最小限にして、資料だけを読んでスポンサーになることを決めました。決め手は来場者の評価でした。経営は赤字でも、来場者のコースやキャディサービスに対する評価は高かった。御殿場コースは特に高かった。

それで決めたんです。私はゴルフ場を複数、経営することはビジネスになると思いました」

名門ゴルフ場を再生させることに成功したもっとも大きな要素は韓俊という経営者が慎重に改革を進めていったからだ。

「パチンコ屋に何ができる」と陰口をたたかれながらも、彼はマルハン流のやり方で会員と従業員のために仕事をした。

社長になってすぐに18コース、すべてを回り、グリーンの芝に触った。レストランのメニューもすべて試食した。できるかぎり多くのキャディと直接、話をした。クラブハウスの風呂に入り、天井の隅にカビが生えているかどうかまで自分の目で確認した。帰りには駐車場に生えていた雑草を抜いた。従業員を叱るわけでもなく、改善を指示することもなく、数カ月の間、彼は現場を回って、現場の実態を検分した。

韓社長は就任直後、全国18コースを回って芝の様子を確認した
写真提供=太平洋クラブ
芝の様子を確認するグリーンキーパー