2021年にプレジデントオンラインで配信した人気記事から、いま読み直したい「編集部セレクション」をお届けします――。(初公開日:2021年11月6日)
世の中で「これが正しい」「常識」とされていることでも実は間違っているケースがある。例えば、教育面。実業家のひろゆきさんは「社会経験のない学校の先生を『大人の手本』にしたり、『読書量と年収は比例する』を信じたりする人がいますが、あまりよろしくないと思います」と指摘する――。

※本稿は、ひろゆき『誰も教えてくれない 日本の不都合な現実』(きずな出版)の一部を再編集したものです。

ひろゆき氏
撮影=長谷英史
ひろゆき氏

日本の道徳教育を真に受ける人

日本の学校では、道徳教育で「人のよろこぶことをしなさい」とか「人には親切にしなさい」とか「人を怒らせてはいけません」などと教えたりします。はたしてそれは適切なのでしょうか?

というのも、現実の世の中では「悪い人」がいます。学校だって、クラスメートに暴力でおどされて、お金をせびられ続ける子どもがいる。そのような人たちの存在を無視している道徳教育は、適切な教えをしているとはとても思えません。

「人のよろこぶことをしなさい」や「人を怒らせてはいけません」は、世の中に「いい人」しか存在しないことを前提にしています。たとえば「お金盗んでこいよ」と命令してくる人を前にして、「人を怒らせてはいけません」は必要でしょうか。

本当にいい人は、こうした綺麗事を真に受けやすく、相手を怒らせてはならないと犯罪行為に手を染めてしまうケースもあります。

ですので、道徳の授業でも「悪い人」が存在することを前提にすべきです。つまり、「悪い人には冷たくあたりなさい」といったことも教え、それに加えて、相手が「いい人」であるなら「人のよろこぶことをしなさい」と教えるべきなのです。

「人には親切にしなさい」や「人を怒らせてはいけません」も、世の中全般にいえる道理ではなく、「いい人」が相手の場合などに限定しなければならないはずです。

そうでないと、道徳の授業など、教室のなかではよくても、現実の世の中ではなんの役にも立ちません。綺麗事のみで成り立っていて、「悪い人」の存在を考えていないことは、日本の道徳教育の大きな欠陥だと思います。