子どもの自殺に対して日本人は感覚が麻痺している
子どもの自殺が増えつづけている。文部科学省の発表によると、2020年の1年間で、499人の小中高校生が自殺した。これは過去最悪の数字で、この数年、子どもの自殺者数は過去最悪を更新しつづけている。
いまの日本は1年に子どもが500人近く自殺する国なのだ。多いと考えるか少ないと考えるか、基準がないので判断は難しいが、頭によぎったのはしばらく前に訪れたキューバのことだった。
世界一と言われるキューバの医療制度とか教育制度、それと都市部で大規模に行われている自然農に関心があった私は、世界遺産の街ハバナを中心に友人たちとあちこちを訪問した。そのとき案内してくれた若者が、雑談のおり、私たちに悲しそうな顔でこう言ったのだ。
「去年とうとうキューバで自殺者が1人出てしまったんです」
人口1000万強で自殺者が1人出たことを悲しそうに語る国と、国民の多くが知らないうちに子どもだけでも500人近く自殺してしまっている国と。感覚の麻痺に敏感でないといけないと思い知った体験だった。
困難を乗り越えることができない現代の子ども
子どもは突然自殺を願望するわけではあるまい。
日頃の生活ぶりの中に、生きることに希望を失ったり、ちょっとした失敗をうまく乗り越えることができなくて苦しんでしまったり、等々、ちゃんとした理由があるはずだ。その多くは、その子自身の育ちの過程で抱えた困難を、その子自身がうまく処理・解決できなかったか、周りがそれに気づいてその子の困難解決をうまく応援できなかったか、が背景にあるのだろう。いずれも子どもの育ちの過程の実際とその質の問題だ。
ここでは、そういうことを考えるために、子ども自身の生活ぶりが短期間にどう変わってきたかを探ってみることにしたい。日常に埋没するとその日常の特色が見えなくなるので、ここでは少し歴史的に子どもの生活ぶり、特に子どもにとってもっとも大事な、人生をシミュレートする活動である遊びを中心にその変遷をみてみたい。