自然遊びではコミュニケーション力も伸びる

もう一つ、こうした遊びを積極的に子どもの頃から行う場合とそうでない場合とで育ちに違いが出てくる分野がある。それが意外なことにコミュニケーション能力だ。

作家の浜田久美子氏の著書『森の力 育む、癒す、地域をつくる』(岩波新書)の冒頭の方に次のような一節がある。

「そのとき(※筆者註:2001年)の取材でもっとも驚いたことは、森の幼稚園に通う子どもたちはコミュニケーション能力が高くなるという点だった。ドイツでの比較研究によれば、森の幼稚園に通う子どもと普通の幼稚園の子どもとでは、発話が早い、発話量が多い、語彙が豊富などが、森の幼稚園の子どもに顕著に見られる特徴なのだという」(p4)

森の幼稚園というのは、森や林、川、海岸など自然の中で自由に遊ばせ、生活させることで子どもを育てようとする1960年代にデンマークから始まった運動だ。今はドイツや北欧の諸国で熱心に取り組まれている。

浜田さんも驚いているが、どうして、毎日自然の中で走ったり、木に登ったり、川で遊んだりしていると、コミュニケーション力、言葉力が高くなるのか。おそらく、自然の中で自由に遊んでいると「ちょっと、そこ持っていて! ちがう! ここ、ここ、そう、そこ!」「あ、そこ滑るから危ないよ! 左によった方がいい!」「足下に赤い実のなる草があるよ、そう、そこ、見て!」などというコミュニケーションというか言葉でのやりとりが必須になる。その場で、ちょうどそのとき、できるだけ的確な言葉で、相手に通じる言い方で伝える、ということを繰り返さないと遊ぶことができない。これが自然の中での遊びの特徴になり、結果として子どもたちの言葉力、コミュニケーション力が伸びるのだろう。

日本の兄と妹(7歳男の子と2歳女児)がハイキング
写真=iStock.com/ziggy_mars
※写真はイメージです

この力は、その後友人を作るときも、遊びを計画するときも、学校で発言するときも、間違いなく生きてくる。その意味で人間力の基本が以前の子どもたちがやっていたような遊びの中で育つのだ。

遊びには「積み重ね」が必要

最初に空間、時間、仲間の三つの間がなくなってきたことが子どもの遊び力の衰退の要因だという言い方にはもっとていねいな吟味が必要だと述べた。

たとえば先の宮原氏の写真の中で、公園の滑り台から飛び降りる遊びをしている子どもたちの様子をもう一度見てほしい。現在の子どもたちに、同じような滑り台とマットを与えたらどうなるだろうか。おそらく、誰もこういう遊びをしないだろう。やってごらんといっても怖がってしないと思うし、無理にさせようとすると逃げていくにきまっている。

つまり、遊びには、幼い頃から徐々に上手になり、大胆になっていくという積み上げが必要なのだ。

遊びは、工夫してやることでだんだん面白くなるという体験、やっとできたという達成感、それに伴う喜びの感情、そしてもっと挑んでみようという意欲、そうした感情体験と、それらを通じて育つ自分への信頼感や自信、そうしたものがない交ぜになった遊び体験のポジティブな感情と記憶が体に刻み込まれていなくてはならない。

もちろんスキルアップはいる。しかし遊び力というのは単なるスキルアップではなく、世界を自分のものにできるという情動的能動性が高まっていくことなのだ。体が遊びを覚え、それが世界に向かうときのその子の能動的な立ち位置をたかめていく。

今はこうした体験を幼児期からすることが極めて困難になっている。

体に遊びのワザと喜びの記憶が刻み込まれていかないし、自分はできるという自己信頼も育てることが難しい。それではいくら三つの間が与えられても、子どもたちが遊び出すことはないだろう。遊びは生きながら順次発酵していく、世界への能動的な姿勢であり意欲であり作為力なのである。(後編に続く)

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