「時間・空間・仲間」が失われたことだけが原因なのか
子どもが自由に遊ぶには3つの「間」が必要とよく言われる。
時間、空間、仲間の3つの間だ。この3つの間が失われてきたことが、子どもが次第に遊ばなくなった、遊べなくなった原因だという考えだ。子どもの育ちにとって、自由で、時に冒険的で、ダイナミックな遊びは、心も体も頭もいつのまにか鍛えてくれる自然の学校になる。それが次第になくなってしまった。塾通い等で子どもは自由な時間が奪われている。道路がすべて舗装され道ばたで子どもが遊ぶことは危険になった。少子化の上、群れて遊ぶ異年齢の集団もなくなった。この3つが、子どもたちが地域社会で遊ばなくなった原因だ。こういう説明だ。
しかし、どうだろうか。
私などは、いや、ちょっとまてよ、という気持ちになる。子どもは本当に遊びたければ、どんな小さな空間でも遊ぶだろうし、ちょっとした隙間時間でも遊ぼうとするのではないか。そこに仲間がいなくても、遊びが面白いとなれば仲間は増えていくはずだ。確かに「3つの間」の喪失は子どもの遊びの減少を説明する必要条件かもしれないが、それで十分に説明されているとは思えない。私などはそう感じる。
「遊び=ゲーム」だと思っていた若いお父さん
現代の若い世代は、自身の子ども時代に大胆で冒険的な、それでいて面白いと感じさせてくれるような昔風の遊びの体験がない人が多い。
ある保育園で遊びの大切さを学ぶ講演会を開いたが、講演が終わったあと、参加していた若い父親に園長が「お父さん、わかったでしょう。もっとお子さんと遊んであげてくださいね。遊びは本当に大事なんですから」といった。するとその父親は「いや、よくわかりましたが、うちの息子はまだちょっと無理だと思うんですよ」「え、どうして? 2歳なんだからもう十分に遊べますよ」「いやあ、ちょっと無理だと思いますけどねえ」「どうして? 十分遊べますよ」「いやあ、2歳の子にはゲームは無理ですよ」……
何のことはない、このお父さん、「遊び=ゲーム遊び」と思い込んでいたのだ。園長が聞くと子どもの頃の遊びはゲーム以外記憶にないとのこと。ゲームがものすごい勢いで広がっていた40年ほど前の話だ。昔の子どもの遊びは、映画で見るか写真で見ないかぎり、実感できない時代になっている。