罪を償う唯一の方法が出家することだった
橋本は公判の被告人質問で、妻子に与えた事件の影響について、こんなことを話していた。
「妻に対しては、本当に申し訳ないことをしたと思っています。娘は妻が引き取り、妻の実家で暮らしていると聞いていますが、あの子には一生消えないような苦しみを与えてしまった。どうやって償ったらいいか分かりませんが、自分が犯した罪を償い続けるつもりです」
また、事件の被害者に対してはこんなことを言っていた。
「人を騙し、お金を奪い、被害者に返さなければなりませんが、私には預金も財産もありません。できることといえば、罪を厳粛に受け止め、下される判決に従い、どうやって償ったらいいかをもう一度考え、被害者に償い続けたいと思います」
橋本の場合、自らの減刑のために反省の弁を述べていたのではなく、本気で償う方法を考えていたらしい。その結果が剃毛して出家することだった。それでも被害者に厳しく非難されるのは仕方ないかもしれないが、橋本が犯行に至った経緯を考えれば、あまりにも貧乏くじを引いてしまったと言えるのではないか。
橋本は阪神大震災のとき、現地入りし、3年ほどNGOで働いていたという。そのときに喉をやられ、健康問題に関心を持つようになったらしい。いわば、人を助けるために始めた事業が、とんでもない結果をもたらしてしまったのだ。
久郷氏は死亡し、NPO法人はコンタクト不能に
「息子さんよりもっとタチの悪い連中がいるんです。そこまでする必要はなかったと思いますよ。もし、息子さんが帰ってきたら、こういう人間が訪ねてきたと伝えてもらえますか?」
「ありがとうございます。今日は胸のつかえがとれました。1人でも分かってくださる人がいて、嬉しいです」
橋本の母親の言葉を聞きながら、どうしても久郷グループを追いかけたくなったが、久郷は2019年に手掛けた月刊誌の監修記事を最後に、死亡していたことが関係先のNPO法人の発表により明らかにされた。このNPO法人の活動拠点も不明で、久郷の義理の息子が理事長を務めているらしいが、コンタクト不能だ。
久郷監修の最後の本は2017年5月に出した『大人の粉ミルク』と言われているが、発行元の主婦の友社に問い合わせたところ、「本の内容に関する質問以外はお答えできない」という返事だった。
久郷グループは雲散霧消したのだろうか。久郷監修の書籍は現在も多くの公立図書館に置かれている。