2021年5月、法事で実家に帰る用事があった時に、母親やその周囲のママ友さんたちの「気分」について聞いたのですが、あまり政治に興味が無さそうなグループでも「日本政府って本当にダメねえ」と評判になっていたのが印象的でした。
当時は欧米でワクチン接種が先行し、一気に「平時に戻りつつある」との印象が広がりました。対して出遅れた日本では「コロナ対策は大失敗だった! 日本はもうダメだ」という世間的な印象が拭い難い状況になっていたのでしょう。
各社の世論調査における「政府の新型コロナ対策を評価しない」と回答した人の割合は最大70%に達しました。当時は任期満了を迎える衆議院議員の総選挙を控えた時期だったこともあり、この数字が菅政権が就任1年で退陣する原因にもなりました。
しかし、「日本政府って本当にダメねえ」という印象を排除して新型コロナ感染状況のデータを確認すると、2020年の日本の死者数は欧米と比べてかなり抑えられました。
それどころか「超過死亡がマイナス」=「例年よりも死者数が少ない」状況でした。つまり世界で稀に見るトップレベルの結果であり、データ上は「コロナ対策に成功した国」だということが分かります。
繰り返された「批判のための批判」
確かに、コロナ禍の初期では台湾や中国、ニュージーランドなど、日本よりも感染者を抑え込んだ成功例はあります。しかし、それらの国では国民に罰則付きの強い行動制限を課すなど、「自粛」を基本とする日本とは条件が大きく異なります。
当時の論調を振り返ると、こうした外国の成功例を踏まえ、「台湾はスゴイなあ! 日本は本当にダメだね」という出羽守バイアスがかかった議論がメディアでは大展開されました。
成功例とされた外国と同等の「対策」を望むのなら、日本政府にもっと「権限」を与える必要がありました。しかし、「台湾はスゴイなあ! 日本は本当にダメだね」と言った次の日に「政府の私権制限に反対」と主張するようでは、支離滅裂としか言いようがありません。
これは「政府を批判するな」という話ではありません。メディアの機能として「批判」はとても大事なことです。批判を基に政策が検証され、より適切な方向に変えていくことで社会は機能していくからです。社会の問題解決には批判は欠かせません。
「政府批判ができればそれでいいじゃないか」という話ではなく、「どの程度の問題なのか」を適切に情報として取り上げられないと「批判」が現実離れしていくのです。とにかく「政府はけしからん」と騒いでいるだけでは役割を果たしていないのです。
また、対策を担う当局者としては、あまりに現実離れした議論に引っ張られるとかえって対策がスムーズに進まなくなってしまいます。