「絶対善の俺たちvs絶対悪の政府」という二元論の弊害

この2年間、日本のネット空間でも「出羽守バイアス」の影響を受けた放言をよく見かけました。

例えば、「欧米は人命や人々の生活を大切にする高潔な政権だが、日本の自民党政権はクズだから国民に全くお金をかけようとしない」「大量のコロナ失業者を見殺しにしている」「やった政策といえばアベノマスク配布だけ」といったものです。

どれも根底的に間違っていることがわかります。冷静に事実を確認すると、日本政府はそれなりに頑張っていて、国際比較で見ても70点ぐらい取れていることは明らかです。

にもかかわらず、日本における「反権力が自己目的化」したような人たちの間では、「世界の恥だ」「日本に生きていることが恥ずかしい」「国民の命なんてどうでもいいと思っているクズどもの政権」などと大騒ぎする事が常態化していました。

日本における「政府批判」がどんどん妄想の中に取り込まれて機能不全になっていく様子は、かなり頭をかかえるものでした。「政府批判」をするために、いちいち「政府が完全に無能」だと全否定する必要はそもそもないのです。

仮に今の政府が70点取っているのを認めても、残りの30点の部分で「もっとこうすべきだった」と批判はできるのです。

しかしメディアが「絶対善の俺たちvs絶対悪の政府」というストーリーに耽溺たんできすると、「70点を取っている政府」それ自体を否定して大騒ぎすることになります。結果として騒いでいる内容が、現実からどんどん遊離していってしまうわけです。

渋谷スクランブル交差点
写真=iStock.com/MarsYu
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メディアの仕事は政府を批判するだけではない

本来のメディアの仕事は次の2点にまとめることができます。

① 政府が発表した「今の対策」をちゃんと過不足なく、必要としている人々に知らせる
② ①をやったうえで、今の制度のどこに不備があるのか? 対象が間違っているのか? 周知が足りていないのか? 金額が足りないのか? 手続きが複雑すぎるのか? といった点を取材し、情報を伝える

国民に必要な情報を伝えるとともに、考える材料を提供するのがメディアの仕事のはず。ところが実際は、「反権力を叫べるなら中身はどうでもいい型陰謀論」で盛り上がってしまっているように思います。

日本政府はコロナ対策として大規模な財政出動を行い、かなりの大盤振る舞いをしたにもかかわらず、「欧米と違って日本の自民党政府はお友達以外に興味がないから何もしてない」といった世界観で盛り上がられると、そもそもの事実認識が根底的に間違っているうえ、「その先の具体的な話」、つまり「本来なされるべき現実に基づいた批判や改善提案」がかきけされてしまっているのです。

「右の陰謀論」より「左の陰謀論」のほうが恐ろしい

デマや陰謀論と聞けば、政府を擁護する保守派(いわゆる“右派”)の間だけのもので、政府を批判する知的で高潔な俺たちの間ではそんなものは無い……と思っていませんか?

しかし、私が「右の陰謀論」より「左の陰謀論」に厳しいのは理由があります。