部屋の中の象

ところが思春期に入ると、佐田さんは兄の存在が煙たくてしかたなくなっていく。

ファミリーレストランやスーパーなどで兄が大声や奇声を上げる場に自分もいるときや、兄が家の中で大声を出したり、踊ったりしている様子を目にするたびに、佐田さんは自身の中に冷たい感情が流れるのを感じる。

「両親は、兄が他の人に触ったり、物を壊したりしたときは謝罪していましたが、兄の存在を恥じている様子は少しも見られませんでした。そんな両親に対して私は、『恥ずかしくないのか?』『もっとしっかり謝ったほうがいいのではないか?』『外出させないほうがいいのではないか?』と思っていました」

それでも佐田さんはずっと、何とも思っていないフリをし続けた。

「本当は今すぐ逃げ出したいのに、その場では平然と、家族としていなくてはならないこと、そしてその苦悩を誰にも話せなかったことがつらかったです」

佐田さんは、両親が大事にしている兄への受容的な雰囲気や、外出時の平然とした立ち振る舞いを壊すようで、両親には絶対に本心や悩みを言うことはできなかった。そして両親も、自分たちの気持ちや考えを佐田さんに話すことは、これまで一度もなかった。

「DV家庭での児童虐待の問題などを巡り、“the elephant in the room”という言葉を耳にしますが、まさにこれに当てはまるような気がします」

象
写真=iStock.com/amriphoto
※写真はイメージです

“the elephant in the room”という慣用句の意味は、“部屋の中に象のような巨大なものがいるにもかかわらず、そのことをあえて話題にしない、見て見ぬふりをする”ということ。

象のように大きな問題を抱えていて、家の中の誰もが悩んでいるはずなのに、家族の誰も口に出さない状況。まさに家庭のタブーだ。

佐田さんは本心を誰にも、友だちにも、先生にも、両親にも言えないまま、成長していく。

この先、佐田さんは、どのようにしてこのタブーを破ったのだろうか。どのように家庭という密室から抜け出したのだろうか(以下、後編へ)。

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