ホワイトカラーの問題点
仕事のなかには、プロジェクト化しやすいものと、そうでないものがあります。ギグエコノミーにもっとも適しているのはコンテンツ(作品)の制作で、エンジニア(プログラマー)やデータ・サイエンティストなどの仕事や、新規部門の立ち上げのような特殊な才能と経験が必要なコンサルティングへと拡張されていきました。
それに対して、利害の異なるさまざまな関係者の複雑な契約を管理したり、大規模なバックオフィスを管理する仕事はこれまでどおり会社に任されることになるでしょう。フリーエージェントがギグで制作したコンテンツ(音楽や映画)も、多くの場合、会社のブランドで流通しています。
プロジェクト型の仕事は、新しいモノやサービスを創造するクリエイターの世界です。こうした分野は徐々に会社から分離され、フリーエージェントが担うことになります。
それに対して会社には、プロジェクト全体を管理するマネージャーのほかに、法律や会計・税務などの専門的な分野をカバーするスペシャリスト(専門職)がいます。クリエイターはプロジェクト単位で仕事の契約をして、組織に所属するマネージャーやスペシャリストの助けを借りながらコンテンツを完成させ、そうやって生まれた作品は会社のブランドで流通しマネタイズされるのです。
「未来世界」でも(とうぶんのあいだ)フリーエージェント(クリエイター)と管理職(スペシャリスト)は増えていくでしょう。「AIがホワイトカラーの仕事を奪う」との不安が広がっていますが、幸いなことにそうした事態はすぐには起こりそうもありません。しかし、ホワイトカラーの問題はほかのところにあります。
世界中で大評判となった「クソどうでもいい仕事」
文化人類学者で「アナキスト」を自称するデヴィッド・グレーバーは2013年、ロンドンで発行されている左翼系の『Strike!(ストライク!)』という雑誌に“On the Phenomenon of Bullshit Jobs”(ブルシットジョブという現象について)という短いエッセイを寄稿しました。
世の中には、部外者から見てなんの役に立っているのかまったくわからない仕事がものすごくたくさんある。たとえばHR(ヒューマンリソース)コンサルタント、PR(パブリック・リレーションシップ)リサーチャー、フィナンシャル・ストラテジスト、コーポレート・ロイヤーなどなど。このリストはえんえんとつづくが、部外者だからわからないのではなく、こうした仕事にはもともとなんの意味もないのではないか……。
これらの仕事を総称して、グレーバーは「ブルシットBullshit(牛の糞)」と呼びました。これは俗語で「たわごと」「でたらめ」のことですが、興味深いことに、jobという単語は「牛や馬のひとかたまりの糞」を意味する中世の言葉から派生したとの説があります。グレーバーがこのことを意識していたかどうかはわかりませんが。
ブルシットジョブの記事が雑誌に掲載されるやいなや大評判になり、数週間のうちにドイツ語、ノルウェー語、スウェーデン語、フランス語、チェコ語、ルーマニア語、ロシア語、トルコ語、ラトビア語、ポーランド語、ギリシア語、韓国語に翻訳され、スイスからオーストラリアまでさまざまな新聞に転載され、雑誌『Strike!』のWEBサイトは数百万のアクセスでたびたびクラッシュしたといいます(邦訳は『ブルシット・ジョブ クソどうでもいい仕事の理論』〈岩波書店〉)。