デヴィッド・グレーバーの『ブルシット・ジョブ クソどうでもいい仕事の理論』(岩波書店)は、なぜ世界中で共感を集めたのか。作家の橘玲さんは「社会の複雑化によって管理職や専門職が増えている。彼らの仕事はバスの運転手や看護師と比べて社会への貢献度が見えにくいためだ」という――。(第4回)

※本稿は、橘玲『不条理な会社人生から自由になる方法』(PHP文庫)の一部を再編集したものです。

管理職はとうぶんのあいだなくならない

「未来世界」ではさまざまな仕事が分権化され、プロジェクトとして切り分けられるようになっていくことはまちがいありません。その一方で、「ギグエコノミー(フリーエージェント)の世界では会社はフラット化し、管理職はいなくなる」とするテクノロジー理想主義者の期待に反して、会社も管理職も(とうぶんのあいだ)存続しつづけるでしょう。

このことは、もっとも早く(1950年代)からプロジェクト型に移行した映画産業でも、映画会社が大きな影響力を持っていることからも明らかです。

映画の撮影に使うカチンコ
写真=iStock.com/demaerre
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一般的な映画のつくり方だと、プロデューサーが企画を立てて出資者を集め、脚本家と相談しながら作品の骨格を決めて、監督と俳優にオファーを出します。低予算でも脚本が気に入ればビッグネームの俳優が出演することもあるし、大作でも自分のイメージに合わないと断られます。監督は、助監督、撮影、音声など現場を支えるスタッフを集めてクランクインし、作品ができあがるとチームは解散し、次の映画(プロジェクト)のための準備をはじめるのです。

ここで登場したひとたち──プロデューサー、脚本家、監督、俳優、現場スタッフ──のなかで「会社員」はひとりもいません。俳優は芸能事務所に所属しているでしょうが、それはマネジメントを代行してもらっているだけで、人気が出れば収入は青天井で、仕事がなければお金はもらえません。

映画産業に映画会社が必要とされる理由

こうした働き方ができるのは、大物監督や人気俳優だけではありません。いったん仕事のやり方がプロジェクト化されると、現場スタッフから端役にいたるまですべてのメンバーがフリーエージェントになるのです。

映画制作の現場がここまで徹底して「ギグ化」しているにもかかわらず、映画会社はあいかわらず必要とされています。

大作映画をつくるには数十億円、ハリウッドなら数百億円の制作費をかけることもあります。こんな莫大ばくだいな資金を個人(プロデューサー)が管理することはできませんから、投資家が安心してお金を預けられる映画会社が受け皿になります。

いったん映画ができあがると、こんどはそれを全国の劇場で上映したり、DVD販売やネット配信したり、海外に版権を売ったりしなければなりません。作品を市場に流通させるには膨大な事務作業(バックオフィス)が必要で、これも映画会社がやっています。