これは不思議な話ではないだろうか? 私たちは小さい頃から、正しい文法・正しい表現を使うことをきびしく教わってきた。しかし、このハチャメチャな文法でも、意味は伝わるのだ。

では、なぜ伝わるのか? その理由は、ムダな贅肉が削ぎ落とされている分、骨格をはっきりと認識できるからなのだ。 文章とは骨格が1番大事だ。形容詞などは、あくまで飾りでしかなく、骨格さえあれば、相手に意味は伝わるのだ。したがって、とにかく文章が苦手な人は、「迷ったら、形容詞などは無視してでも、短文をめざせ」なのだ。

短くて情報量の多い文章こそが究極的に美しい文章

「究極的に美しい文章とはなにか?」と、私は考えることがある。「価値がしっかりと読者に伝わる文章とはなにか?」と表現することもできるかもしれない。

結論を言うと、「究極的に美しい文章」とは、「文字数に対する、情報量の割合が高い文章」だと思う。言い換えると、「大量の情報が入っているのに、短くて、わかりやすい」ことだ。

唐突に聞こえるかもしれないが、数学や物理の公式が、これに当てはまると思う。数学や物理の公式のすばらしさは、たった4~5文字の文字列に、宇宙がつまっていることだ。ありとあらゆる情報が入っていることだ。だから、言語としてもっとも美しいのは数学や物理であると、私自身は思っている。

では、ビジネスのコミュニケーションにおいてはどうだろうか? 数学や物理は極端な例であっても、ビジネス文章も同じ原則に基づいている。つまり、「短ければ短いほど、文章としては善」ということだ。正確に言うと、情報量が同じであれば、短いほどいい。これは大切な話だ。具体的には、

・文字数はどれだけ多くても一文が40文字
・できれば、その半分の、一文20文字以内に抑えるべき

ということだ。ちなみに、一文とは、書き出しから句点「。」までを指す。

一文を20~40文字に抑える努力をせよ

あなたは、なにか文章を書くとき、「自分の書いた一文は何文字か」を意識したことがあるだろうか。おそらく、意識したことがある人は稀だろう。もし、一度も数えたことがなければ、自分が書いた文章を数えてみて、音読してみるといいだろう。

一文が40文字以上になると、明らかに読みづらいし、長い。聞いている側が一度では理解できない可能性が高くなる。40文字以内、できれば20文字以内にしたほうがいい。意地でもやったほうがいい。例を挙げて考えていこう。

○Before:長い文の例
あなたは、なにか文章を書くとき、「自分の書いた一文は何文字か」を意識したことがあるだろうか。(46文字)
○After:短い文の例
あなたは意識したことがあるだろうか。「自分が書いた一文が何文字ぐらいか」を。(18文字+20文字)

両方を音読してみるとわかるが、前者は意味がわかりづらくなっている。一方で、後者はわかりやすい。「一文は40文字以内、できれば20文字以内に、意地でも抑えよ」が反映されているからだ。