自分の時間はなくても「じゅうぶん後で回収できる」

ところが、そんなに働きたくても、新人ですから仕事は言うほどありません。だから、暇さえあれば自分から仕事を探し回っていました。人から振ってもらった仕事を断ったことはありませんし、「ぜひ、私にやらせてください」が口癖でした。

仕事量に応じて、結果も追いついてきます。1年目にして私が稼いだ粗利益額は5000万円に上りました(これは入社した年の12月頃までに出した金額です)。「すごい新人が入ってきたぞ」と社内では噂になりましたが、私は自分のために仕事をしていたので苦労はありません。仕事に夢中になりすぎて、自分が食事をしたかどうかさえ忘れるほどでした。

夜の遅い時間に残業していた痕跡。ノートパソコンとランプだけがともっているオフィスに今は人がいない
写真=iStock.com/katleho Seisa
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いったいなぜ、私がそんなに仕事をしていたかというと「起業という目標に近づくため」です。

目先の仕事にひたすら集中することで、自分の夢が近づいてくるようで楽しかったのです。当時の自分にとってハードワークは、自分の将来に対する“先行投資”という位置づけでした。仕事漬けになることで、自分の時間はほとんどありませんでしたが、「自分の夢を実現できれば、投資はじゅうぶん後で回収できる」と思っていました。

私は、できるだけ若い時期に結果を出したかったのです。それが「将来すごい会社を創る」という夢に近づく最短距離だと考えていました。

「自分が社長だったらこうする」を常に考える

もちろん、ライバルもいました。インテリジェンスの44人の同期たちです。そのほとんどは「大企業よりベンチャー」という気概のある、鼻息の荒い連中でした。頑張る私に張り合ってか、「藤田より先には帰らない!」と言い放つ同期もいました。でも、私は周りと競争をしているわけではなく、「将来すごい会社を創る」という目標に向かい「自分」と闘っていたのです。

無用な争いを避けたくて、深夜まで会社に残るのではなく、「始発から出社する」という超朝型にシフトしました。

「誰かと営業成績を競う」という意識もありませんでした。そのため、自分で立てた目標を毎月、達成することを自分に課していました。

また、私は急成長を続けていたインテリジェンスで働きながら、「宇野社長はこういうところがうまいんだな」などと感心する一方、「自分が社長だったら、こうするな」と常にシミュレーションをしていました。もちろん、それは妄想にすぎません。しかし、現場で働く新入社員が経営者目線を養うにはじゅうぶんに有効でした。

そして、インテリジェンスに就職してから1年未満で、起業のチャンスがやってきました。オックスを解任された渡辺専務を社長に据え、自分は取締役という立場で「新たな会社を創ろう」と考えたのです。