父に連れられ下町の学校に
愛子さまが、皇族子弟の伝統校である学習院初等科に入学された頃、エリザベート王女は両親の強い希望で、それまでの王室慣例校(フランス語で学ぶ学校で山の手にある)とは異なる学校(オランダ語で学ぶ学校で下町にある)に入り、社会もそれを「いいんじゃない?」と受け止めた。
オランダ語、フランス語、ドイツ語と国語が3つもあるというのに、王族の間では、伝統的に家庭語はフランス語であると言われており、オランダ語を母語とする国民からしばしば「国民の象徴のクセに、オランダ語が下手だ」と揶揄されてきたからだ。
ベルギーは建国後、異なる言語を話す人々の間で激しい抗争が繰り返されてきた。そんな背景があるからこそ、言語でも、人種でも、性別や性的志向でも、「平等」に対する深い思いが培われたのではないかと筆者は思う。ベルギーは世界で2番目(2003年)に同性婚を合法化した国でもある。
良妻賢母を絵にかいたような雅子妃殿下が、新緑眩しい赤坂御所からの道を、愛子さまと手をつないで登校する様子が伝えられる頃、ベルギーでは父であるフィリップ王子が子供4人を引き連れて、下町の喧騒をかき分けながら学校へ急ぐ、庶民的光景がテレビや新聞で度々伝えられたものだ。
生前退位した前国王
2人のプリンセスが中学に上がった頃、両国の国王・天皇の生前退位があってプリンセスの父君が即位したことでも、両国のロイヤルファミリーは比較され、筆者は度々日本のテレビから取材を受けた。
その時すでにベルギーには国王本人の意思で退位できる制度があったから、長く立っているのさえつらそうなアルベール2世が「退位届」に署名すると、国民は「おつかれさん!」とあっさりしたものだった。ベルギー国民の大半は65才前後で「引退」し、年金を受けながら社会的弱者や若い世代の応援に回る。八十寿を迎えてなお公職にあった国王を同じ人間として労わる声は強かった。
日本ではよく、新年や誕生日などに「くつろいだ」雰囲気を無理に醸し出し、長いソファに腰かけた「聖家族」のような天皇一家の映像やお言葉が報じられる。ベルギーでは、休暇中に王室の大家族で田舎の村々を自転車で巡り、転倒した祖父(元国王)を笑いながら助け起こす孫の王子王女たちや、自国のサッカーチームを声援するロイヤルファミリーの姿などが日常的にメディアで流される。