同じ年に生まれた2人のプリンセス
「性別に関係なく長子継承」となってから初めて生まれたお世継ぎは女の子――。ベルギー国民はその誕生を知らせる祝砲に歓喜した。その約1カ月後、愛子さまの誕生に日本中が複雑な空気に包まれたのとはあまりにも対照的だった。
ベルギー王室と日本の皇室はかなり親しい間柄だ。そもそもは関東大震災(1923年)の折に、当時のベルギー国王が復興のためにと相当な数の高価な美術品を日本の皇室に送ったことがきっかけとされる。
以来、親しい交流が続き、若き日の皇太子浩宮さま(現天皇陛下)はしばしばベルギーを訪れ、同い年のフィリップ王子(現国王)とブリュッセル郊外のラーケン王宮の広大な敷地で白馬にまたがったとされる。ご成婚は浩宮さまが一足早かったが、同じく民間から妃を迎えたフィリップ王子のマリアージュ(結婚式)には、若々しくお元気そうな雅子妃を伴った皇太子さまの姿があった。
2001年には、10月にエリザベート王女、12月に愛子さまが誕生。初の「クラウン・プリンセス」(王位継承権を持つプリンセス)誕生がベルギーでは心から歓迎されたのに対し、日本では「結婚8年目、37歳の雅子さまに男子の第2子誕生を期待できるか」といった疑問まであがって、どんよりとした雰囲気に包まれていたことを筆者はよく覚えている。日本の女性には「嫁して三年、子なきは去れ」「跡取り息子を産めなければ嫁失格」といったすさまじい重圧が残っていた時代だった。
「まだ余裕はあったが」早めの法改正で備え
1979年、国連女性差別撤退条約が成立すると、欧州では、スウェーデン(1980年)、オランダ(1983年)、ノルウェー(1989年)などの王室で、次々と「性別に関係ない長子継承」への法改正が進み、ベルギーでは1991年に、議会を経て憲法が書き換えられた。「ベルギーでは、国民に人気の高かった当時のボードワン国王に子供がなかったことから、直系男子継承が途絶えることは確定していたし、欧州の他の王室が次々と女性にも継承の道を開いていたから、ベルギーでもそうするのが順当との考えが熟していた」と話してくれたのは、ベルギーの民放テレビ局で王室番組を長年担当するトマ・デゥベルゲイクさんだ。
1993年の国王崩御の後は、弟のアルベール2世へ、そしてその長男のフィリップ王子へとの見通しがあったから、「まだ2代の余裕」はあったものの、ベルギー社会は、法改正を先延ばしにせず、「転ばぬ先の杖」を用意することを選んだ。
フィリップ王子夫妻は、その後立て続けに2人の王子ともう1人の王女を授かったが、長子であるエリザベート王女が王位継承権第1位であることに揺るぎはなく、「せっかく男の子が生まれたんだから、男の子に継承を」などという懐古主義的な声は皆無だったと、前述のデゥベルゲイクさんは明言する。