幸せな人生を送るためには、なにが重要なのか。テレビ朝日・元アメリカ総局長の岡田豊さんは「アメリカから戻ったとき、日本の通勤風景に強い違和感を抱いた。日本人は会社や社会の価値観に縛られすぎている」という――。

※本稿は、岡田豊『自考』(プレジデント社)の一部を再編集したものです。

混雑した東京の電車
写真=iStock.com/aluxum
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無言で人をかき分けて降車する「痛勤」に抱いた違和感

2017年夏。アメリカ勤務を終えて日本に帰国しました。思えば、アメリカ赴任が決まった時の戸惑いも杞憂に終わり、4年間を無事に過ごすことができました。そして、慣れ親しんだ日本で、また、平穏な暮らしが始まるんだと胸を弾ませていました。しかし、帰国直後から、言い知れぬ違和感に襲われたのです。

帰国した翌日、銀行や役所に行って諸手続きをし、その翌日から、東京の本社で仕事がスタートしました。最初の異変に気付いたのは朝。久々の通勤電車でした。満員の車両やホームでは誰も笑っていません。会話もありません。

駅で降りたいのに満員の車両の中ほどで身動きが取れず、降りられない人がいます。譲ろうとする人も少ない。降りる人も一言、「降りまーす」と言えばいいのに、無言で無理に人をかき分けて降りようと必死の形相です。

滑稽な風景でした。

満員電車という空間の中で、「個人」が埋もれそうになっている。なんだか、そんな光景に見えました。駅に着くと、我先にと降りる人、人、人。他人を押しのけていく人もいます。私がまだ慣れていないせいもあったのでしょうが、ホームを歩いていると、後ろから来た人に、かかとを踏まれました。後ろから走ってくる別の人には背中を押されました。

アメリカ人は笑うために生きている

アメリカ赴任前、この“痛勤”風景には慣れていたはずでしたが、強い違和感を覚えました。他人に譲り合おうとするアメリカ社会になじんでしまった反動だったかもしれません。笑っている人が明らかに少ないと感じました。アメリカ人は本当によく笑っていましたから。

銃の所持が認められているアメリカでは、笑うことで敵に警戒心を与えないよう自己防衛している要素があるとも言われます。しかし、それだけではないような気がします。アメリカ人は本当に人々とよく語らい、本当によく笑います。「笑うために生きている」。そんな印象でした。アメリカではそんな明るい人たちに囲まれて生活していました。