英語や中国語と違い、日本語では年齢によって相手の呼称を使い分ける。ジャーナリストの岡田豊さんは「人によって呼び方を変えると、時にその人の可能性を潰してしまう。誰であっても『さん』を付けて呼ぶエイジフリーの概念がもっと広まってもいい」という――。

※本稿は、岡田豊『自考』(プレジデント社)の一部を再編集したものです。

メガホンで叫んで怒っている上司
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日本人になじみの薄い「エイジフリー」という言葉

エイジフリー。聞き慣れない言葉です。エイジ(年齢)から、フリー(解放、自由)になる。雇用の分野では、年齢を基準にせず、年齢にとらわれずに働くという意味合いがあるようですが、ここでは、もっと広く、「年齢を気にせず、すべての世代がフランクに、誠実に向き合う」という意味で使いたいと思います。

先輩と後輩。上司と部下。年上と年下。高齢者と若者。何だか、どれも壁を感じる対の言葉です。年下は年上を敬わなければいけない。後輩は先輩の言うことを聞いて先輩を立てなければいけない。部下は上司に従う。高齢者は若者と話が合わないと決め付けて毛嫌いし、若者は高齢者を説教臭いと決め付けて敬遠する。

すると、高齢者はますます話し相手がいなくなり、孤独になります。部活動で後輩が先輩からレギュラーを奪い、先輩が補欠になると、その後輩は気を使ってやりにくくなるし、先輩からいじめられるケースも出てきたりします。

会社では、年下の後輩が上司になるのは当たり前の時代。その後輩の上司が先輩の部下では仕事をしにくいからと、その先輩をその職場から移動させたり、会社の外に出向させたりもします。何だか、「エイジ(年齢)」のせいで、みなさん、お互いが損をしていないでしょうか。その損が積み重なって、社会全体で大きな損失となり、社会の閉塞感を生み出していないかと考えました。

礼節正しい日本人だからこそぶつかる年齢の壁。でも、そんな年齢の壁をある程度、取っ払えないでしょうか。年下の可能性をつぶさない。年上の可能性をつぶさない。

お互いに尊重し合い、人としてのマナーを守れれば、エイジフリーは、かなり有益な手段ではないかと思います。

お互いの尊重に年齢の上下は関係ない

私は若い人と心を開いてもっと話をしたい。若い人から学ぶことはたくさんある。年齢が30歳離れていても、関係ありません。若い人の本音を聞いて学びたいし、私の本音を聞いて批評もしてもらいたい。壁を取り払ったら、きっと楽しいだろうと思います。

その組織の限られた価値観の中で、先輩が必ずしも後輩より秀でているとは限りません。もし後輩の方が秀でているならば、先輩はそれを受け入れればいい。例えば、年下の上司だからといって、自らの可能性にフタをするのはナンセンスです。若い人も遠慮なく、中高年に言いたいことを言うべきだし、きっと心を開いて話せたら、有益なことがたくさんあるのではないかと思います。

お互いに人間を尊重し合えるのであれば、年齢の上下は関係ないと思うのですが、いかがでしょうか。後輩が上司になったという理由だけで、有能な先輩をいちいち本社から子会社に出向させていたら、会社の損失にもなりかねません。

「年長者を敬う文化があるから、日本ではなかなか難しいのではないか」。知人はこう言います。そうかもしれません。確かに大きな理想論かもしれません。でも、エイジフリーという柔らかいセンスは、様々な可能性を高め、広げてくれるかもしれません。