※本稿は、如月サラ『父がひとりで死んでいた』(日経BP)の一部を再編集したものです。
私の「緊急連絡先」は一体誰なのか
父が死んでいた真冬から、東京の自宅と実家を往復する以外ほとんど外出しない日々が続いていたけれど、春先からほんの少しずつ得意ジャンルの1つである「旅」に関する取材やリポートの仕事が入り始めた。
あるとき、旅先でSUPヨガの取材をすることになった。SUPとはスタンドアップ・パドルボード(Stand Up Paddleboard)の略称。サーフボードの上に立ち、パドルを使って海や湖などを進むアクティビティのことだ。SUPヨガはこのボードの上で行うヨガのこと。予期せぬ事態が起こる可能性もあるので、体験前に誓約書へのサインや、緊急連絡先の記入などが求められる。
この誓約書の記入の際に手が止まってしまったのだ。私に何かが起こったとき、知らせれば駆けつけてくれる人はもはや誰もいない。施設に入っている母の部屋には携帯電話がおいてあるが、母は既に電話を受けることもかけることもできない。いったい誰の名を、どの連絡先を書けばいいのだろうか。
取材先という思いがけない場所で気づいたことに、驚くほど動揺した。事情を知る取材仲間がそんな私を見て、自分の家族の連絡先をそっと書いてくれた。これからもきっと同じようなことがあるだろう。そのときどうすればいいのだろうか。
40歳を超えた時、初めて賃貸物件の入居を断られた
思い返してみれば、以前にも似たような経験をしていた。それは40歳を超えたときのこと。既に離婚し独身ひとり暮らしだった私は、時住んでいたマンションの隣の敷地に大きな建築物を建てる工事が始まったのをきっかけに、引っ越すことにした。
東京の賃貸マンションは通常、2年ごとに更新料が発生する。家賃2倍もの更新料を払って同じところに住み続けるより、引っ越して気分を変えるほうがいいからと、私は更新のたびに違う場所に転居していた。そのときには既に、東京に出てきて12軒目の家に住んでいたところだった。
転勤を伴う父の仕事の都合で幼い頃から引っ越しが多く、住む場所を変えることに抵抗がないのも影響していると思う。いらないものを捨てて新しい場所に移り住むスタイルが気に入っており、そのときも次に住みたい街で部屋を探し始めた。ところが、申し込みをすると断られてしまったのだ。初めてのことだった。