11歳にして教師の妹と……

実在する史上最高のモテ男カサノヴァは、どんな人物だったのでしょうか。

ジャコモ・カサノヴァ(1725~1798)はヴェネチア共和国に、俳優のガエタノ・ジョゼッペ・カサノヴァと女優ザネッタ・ファルッシの息子として生まれました。そういうことになっています。

けれども本当の父親は、二人が当時所属していたサン・サムエーレ劇場の所有者で貴族のミケーレ・グリマーニでした。

そのことは周知の事実で、法律上の父であるガエタノが生きていた頃から、ジャコモの養育費はグリマーニ家から出ており、彼は上流家庭の子息が入るパドヴァの寄宿学校で教育を受けました。

ジャコモは家族の愛情には恵まれなかったものの、学力優秀なために教師たちから愛され、腕っ節が強くて機知も豊かだったので友人たちからも一目置かれました。

これは持って生まれた頭脳や容姿の賜物というだけでなく、周囲の人々に愛されるよう努力した結果でもあったでしょう。学校には彼より頭が悪くても、家柄の良さや財力を自慢して威張っている者、さらにそれにおもねる級友や教師もいました。

ジャコモはそうした身分格差や世間の理不尽に憤るのではなく、巧みに利用し、周囲に気を配って、他人を楽しませながら、自分も高い評価を得るという処世術を、早々に身につけました。

それだけに謹厳実直な秀才ではなく、陰に隠れての悪戯というジャンルでも、人に先んじていました。11歳にして教師の妹に誘惑されたとか、誘惑したとか。ともかく自分も他人も楽しむのがカサノヴァの流儀です。

その後、カサノヴァはパドヴァ大学に進んで意外なことに倫理哲学を学び、化学、数学、さらに法学を修めて、なんと16歳にして法学博士号を取得しました。また薬学も学び、後年はいろいろと薬を調合して魔術師とも噂されました。精力剤はお得意だったでしょう。

十代で聖職者から軍人、ヴァイオリニストへ

1739年、ヴェネチアに戻ったカサノヴァは教会に籍を置いて法律業務に携わります。一応は聖職身分ながら事務官のような立場で、世俗の楽しみを我慢する気はなかったようです。長身で身嗜みだしなみがよく、健康的な浅黒い肌をして、手入れの行き届いた長髪からは芳香が漂ったといわれる伊達男だておとこぶりで、たちまち評判になりました。

当時、ヴェネチアは共和国でしたが貴族階層が政治も文化も経済も動かしており、社交界が重要な権力の場でした。社交界は一つではなく、階層ごとに細かく分かれており、出入りできるメンバーは、不文律ながら厳然たる決まりがありました。

貴族の庶子とはいえ平民であるカサノヴァは、もともとのメンバーではありません。しかし彼を気に入った老評議員アルヴィーゼ・ガスパロ・マリピエロの手引きによってヴェネチア最上流の社交界に容れられ、そこでも人々を魅了していきます。

マリピエロは彼に極上の料理やワインを教え、社交界の作法やふるまいを伝授しました。老人はこの若者に、もはや自分には出来ない何かをさせたかったかのようです。

カサノヴァはたちまち、いくつもの浮名を流すようになります。教会にとどまっているのが窮屈になった彼は、軍人としての冒険と出世を夢見て、ヴェネチアの下級士官職を買いました。

そしてコンスタンティノポリスに赴任したものの軍務はあんがい退屈で、昇進の機会もなかなか巡ってこないように思われました。さっそく軍職を放り出したカサノヴァはヴェネチアに戻ると、父グリマーニが経営する劇場のヴァイオリニストになります。これらのことが20歳までの出来事というから驚きます。