老不死の薬や特別の媚薬などを求める者も

お尋ね者なので様々な偽名ではありましたが、逃げ隠れすることなく大貴族の邸宅や居城、各国の宮廷にも姿を現します。時に異国の貴族や騎士や魔術師というふれこみで。

その正体がカサノヴァであることは分かる人にはすぐ分かります。それでも彼の話術や博識や大胆さに魅了された人々は、後ろめたさというスパイスまで付いた非日常的体験を楽しみ、その対価のように恋や金品を提供しました。

彼の“魔術”に期待して、大金を積んで不老不死の薬や特別の媚薬などを求める者もいました。

被害を受けた大貴族や、教皇庁などいくつかの組織は、彼の違法行為や異端行為(魔術師としての噂など)を咎めて、追いかけまわします。

ただ、公的には彼を咎めている筈のヴェネチアの在外大使などは、カサノヴァの行為をけっこう愉快がっており、野暮な詮議は差し控えていた節も見られます。

そもそもカサノヴァが犯した「罪」というのが大したものではなく、娘を誘惑された大貴族が腹いせで捏造した書類によるものともいわれており、ヴェネチア政府自体が、表向きの追及と粋なお目こぼしを通してカサノヴァを泳がせておいた方が、自国の評判が高まる――そう計算していたものと察せられます。

“旅する王権”の時代

カサノヴァの振舞いを見ていて、ふと思いだしたのは中世の“旅する王権”です。国家は国民が納める税によって運営され、国王の宮廷も当然ながら税収がなければ成り立ちません。

しかし中世ヨーロッパは交通事情も治安状態も悪く、また各地の大貴族が国王にも匹敵する領地と兵力を抱えており、近代のような厳格で効率的な徴税制度はありませんでした。

国王の領地は国内に分散しており、特に遠方の領地への権能は滞りがち。

そこで国王とその取り巻きたちを中心とした宮廷のほうが、遠方の領地に出かけていき、そこで生活し消費することで、実質的な税の取り立てとする方法がとられました。

道中、国王一行をもてなすことは、地方の領主貴族にとっては名誉であり、競うようにして豪華な宴会や舞台や狩りを提供し、貢物もしました。

これもまた封建領主からの実質的な収税です。とはいえ税金として事務的に収めるのに較べたら、献納する側も自尊心を満足させ、当人たちも王の傍らで一緒に楽しむという祝祭的な納税です。時に宮廷の旅は数年に及びました。

カサノヴァの派手な放浪は、そんな国王の旅の縮小模倣であり、彼の場合は権利としての徴税ではなく、祝祭の機会の提供、心身の悦楽を通しての、出す側も気持ちのいい提供でした。

カサノヴァが去ったのちも、彼を支援するパトロンは男女を問わずおり、送金や苦境の救済を工作しています。