「個」を尊重しながら勝利に向かって最善の手を打つ

平成の時代が終わりを告げようとしていた2019年(平成31年)3月。

東京ドームで行われたシアトル・マリナーズの開幕カードを最後に、イチローも28年の現役生活に幕を閉じた。

喜瀬雅則『オリックスはなぜ優勝できたのか』(光文社新書)
喜瀬雅則『オリックスはなぜ優勝できたのか』(光文社新書)

日米通算4367安打、19年の長きにわたってプレーしたメジャーリーグでも「ICHIRO」の名前は定着している。

これが果たして「SUZUKI」なら、どうだったのか。ちょっと想像がつかない。

その「ICHIRO」をメジャーに送り出したのも、仰木だった。

野茂英雄、長谷川滋利、吉井理人、田口壮。

日本球界からメジャーにチャレンジした男たちは、仰木が監督を務めた近鉄、オリックス時代の選手が目立つ。

体全体を大きくひねって投げる、野茂の「トルネード投法」に対し、批判する外野からの声を仰木は一切無視し、コーチ陣にも「触るな」と厳命した。

イチローにも、右足を揺り動かしながらタイミングを取る「振り子打法」に対して、フォームの矯正や手を加えることなど、一切しなかった。

「個」を尊重しながら、その一方で実力をシビアに見極め、勝利という目的に向かって最善の手を打つ。

1995年のオリックスには、その“仰木イズム”に、ぴたりと当てはまる、実力と個性を兼ね備えたタレントが、ずらりと顔を揃えていた。

野手ならイチロー、田口壮、藤井康雄、福良淳一、中嶋聡。

投手なら佐藤義則、野田浩司、星野伸之、長谷川滋利、平井正史。

若手、中堅、ベテランのバランスも良く、チームがうまくかみ合っている。

これなら、優勝できる――。

仰木には、確信があった。

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