仰木の理想とする2番打者像
仰木オリックスの打順は、1番イチロー、2番は当時33歳のベテラン・福良淳一(元オリックス監督、現ゼネラルマネジャー兼編成部長)の並びとなった。
福良は右打ちやバントなど、チームバッティングをそつなくこなせる。
堅実な二塁の守備でも、その年に二塁手連続無失策守備機会836の日本記録を達成するなど、仰木野球には不可欠なプレーヤーの一人だった。
イチローという、打って走れる若きスターとの1・2番コンビ。ただ、その意図を仰木から説明されたことは「一度もなかった」と、福良は笑いながら説明してくれた。
「ホントに、何も言われたことないんだよ。練習でも、ゲームでも、会話という会話、したことなかったと思うよ」
それは、仰木からの信頼の証でもある。
福良なら、イチローの良さや、さらなる能力を、きちんと引き出してくれる。
それは、現役時代の新井に対しても全く同じだった。
仰木は近鉄で、2番・新井の前、1番には大石大二郎(元オリックス監督)を置いた。
大石は、現役時代に4度の盗塁王に輝いた俊足巧打のプレーヤーだ。出塁した大石が相手をかき回し、クリーンアップが大石を本塁へ還す。
その繋ぎ役を、新井に委ねたのだ。しかも新井は、後に名球会プレーヤーになったほどの安打製造機。繋ぎでも、ヒットでのチャンス拡大でも、それこそ何でもできる。
「大石と2人でノーサインでした。それは、プレーヤーとして信頼されていたということなんでしょう」
1番・イチローと2番・福良が交わしていた約束
仰木は、イチローに対して、出塁したら「いつ走っても構わない」と告げていた。つまり盗塁に関しては、常に「グリーンライト」というわけだ。
そこで福良は、イチローに「走れない時だけ、サインをくれ」と要望した。
塁上のイチローからフラッシュサインが出たら、福良はその時、最初から打って出る。
そのシグナルがなければ、イチローの動きを見ながら、二盗をアシストするために、まずは打たずに、様子を見ながら待つ。同時に相手の守備隊形、捕手の警戒ぶりも確かめ、状況を的確に判断し、自分の動きも決めていかなければならない。
そうした難しい制約のかかった中で、通常のプレーができる選手もなかなかいない。
それでも福良は、仰木1年目の1994年、114試合出場で打率.301をマーク。その時、イチローの打率は.385だから、何とも恐ろしい1、2番コンビでもあった。
「あの時のメンバーは、個々で考えられるというかな、レベルが高かったですよ。スタメンでも、途中から行くメンバーでもね」(福良)