親切にされることは苦痛でしかなかった
【斎藤】私は、発達障害の人と多く向き合いますが、そういう暴力性に対するセンサーが鋭敏な人たちの気持ちになってみると、このことがよく理解できます。例えば、1992年に、世界で初めて自閉症者の精神世界を内側から描いた『自閉症だったわたしへ』を発表したドナ・ウィリアムズは、同書で次のような心情を綴っています。
相手がどれほど慈愛に満ちた人間であっても、その優しささえが耐え難い暴力として身に迫ってくる。親切にされること、優しく見つめられること、抱きしめられることはことごとく苦痛でしかなかった、とドナさんは書いています。
【佐藤】自分にとってポジティブかどうかは関係なく、自己の領域に入り込んでくることを受容できないわけですね。
対面の話には、人を巻き込む力がある
【斎藤】だから、暴力なのです。こうした人に対して、「あなたのためを思ってのことなのに、どうして分かってくれないのか」といった対応をするのは、間違いです。
ただし、さきほども申し上げたように、そういう現前性のエネルギーを「悪」と決めつけることはできません。「暴力を使えば話が早い」と言いましたが、集団で何ごとかを実行しようと思ったら、集まって多様な意見を取りまとめ、決断し、行動のプロセスを一気に進めるのが、最も効率的でしょう。
卑近な例を挙げれば、私など対面で打ち合わせをやると、ついつい嫌な役回りを引き受けてしまう(笑)。逆に言えば、誰かにそういう依頼をしようと思ったら、会って話すべきなのです。
【佐藤】対面の話には、人を巻き込む力があるんですね。そう言えば、編集者というのも著者を巻き込まないと仕事にならない職業です。私も少し前、編集者に雑談で話したことを「字にしませんか?」と迫られて、その場の勢いでつい「やります」と言ってしまって。で、原稿を書いて発表したら、結構な大ごとになったことがありました(笑)。
【斎藤】まさに暴力の被害者ですね(笑)。