新車にはパーソナリティがない
その車を見たらすぐわかるだろうが、長年のあいだに277の車体にはいろいろと傷もついた。俺にとっちゃ、お気に入りの古い靴のようなものだ。昔からの戦友だ。みんな「一番のお気に入りの車は?」と訊きたがる。俺はこう答える。
「277以外、ありえないな」
何もかもが素晴らしいのだ。車高が低いといった点も含めて、傷や傷みがあるほどいいのだ。みんなかけがえのない思い出なのだから。新品のカスタムメイドの車や、ホットロッドの911も素晴らしいが、そういった車にはまだパーソナリティが何もない。単に新車というだけだ。俺にとって277は別の意味で完璧な車だ。
完璧とはペンキを塗るという意味だけではない。あの車に乗って何マイル走ったか、見当もつかない。どれだけ金をつぎ込んだかもわからない。よくある話だがあっちに5000ドル、こっちに5000ドル、こっちに2000ドルという具合だ。別に金なんてどうだっていい。
なぜ座席を新品と交換しなければならないのか
277に関する俺の主張はなかなか理解してもらえないし、パーソナリティや傷のある車はピカピカの新車よりいいと言っても、わかってもらえないこともある。たとえばこんな話だ。あるときスパルコとレカロから連絡があり、ご親切にも277の新しい座席を提供してくれると言ってきた。今に至るまで、タダで物をもらったことはないし、値引きを求めたこともない。だからその連中には礼だけ言った。
「新しいシートが欲しくて、それが600ドルするとしたら、自腹で買うさ。それに、どうしてあの車に新しい座席をつけなきゃいけないんだ」
俺は新品のジーンズが嫌いだ。新品の靴が嫌いだ。どうして新品の座席をつけなきゃいけないんだ。ある男からは、運転席がスパルコで助手席がMOMOなのはおかしいだろう、と言われた。もしよければ新しいシートを提供しよう、そうしたら釣り合いが取れるという話だった。だが運転席というのは、レースのたびに座る場所で、破れているし傷んでいる。シートベルトのせいで擦り傷もついている。
助手席に入れてある250ドルのMOMOのバケットシートは、スパルコの製品に手が届くようになるまで運転席として使っていた。実のところ2つ持っていたのだが、資金のない友人に助手席を譲ってしまった。だからスパルコのものを買って、MOMOを助手席に移したのだ。
そんな経緯があるのに、どうして片方を交換しなきゃいけないんだ。両方とも、ポルシェでサーキットに出るようになった2002年から車に積んでいる。それがこの車のDNAにしてパーソナリティなのだ。
おかしな話だが、ナンバープレートは71T24Sだ。車に近寄ってきた人間に言われることがある。「この車は何年のものだ?」俺はいつもこんなふうに答える。
「ナンバープレートを見てみろよ。なんとなく答えがわからないか」