その日暮らしだったマグナス・ウォーカーさんが、世界一のポルシェコレクターとなれたのは、古着の販売に成功したからだった。なぜマグナスさんの販売する古着は、高値で売れるようになったのか。彼の自伝『URBAN OUTLAW』(東洋館出版社)より紹介しよう――。
市に並ぶ古着のブラウス
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友人に頼り切り何ひとつ達成することのない生活

その日暮らしをしていた俺が、どうやって自分のアパレル会社を立ち上げ、「ローリングストーン」の表紙を飾るロックスターに服を提供するに至ったのか、話をさせてほしい。人生、悪くないじゃないか。

さっきから語ってきたように、ハリウッドで過ごしていた時期は、ロックンロール、バンド、ギグにどっぷり浸かっていた。今ふと立ち止まってあの頃のことを考えると、楽しかったのは確かだが、ある意味では周りの人間の気前のよさに甘えていたこともわかる。俺は友人たちの善意と親切心に頼って生きていた。自分自身では何ひとつ達成することなく、自力で何か作ることもなく、自分の足で立つことさえおぼつかなかった。誰かの手助けや、誰かのカウチ、誰かの送り迎えに頼りきりだったのだ。

しばらくすると、いささか気まずくなってきた。友人の家に寝泊まりするのもこれだけ長くなれば、辛抱強い相手でも多少は恨めしげな顔になってくるものだ。

それと同時に、俺自身も少々飽きがきていた。毎日、同じことの繰り返しだった。夜遊びに出かけ、ロックンロールのセッションに顔を出し、女の子をナンパし、昼間はあたりをうろつき、財布はいつも空っぽ……。もちろん楽しい日々だったが、さすがに多少うんざりしてきた。いささか新鮮味が失われ、自分は何をやっているのかという気がしてきた。金はなくなるし、まともな仕事はないし、またイギリスに帰らなければいけないのか、という考えも頭をかすめるようになっていた。

結局、俺は場所を変えて、ハリウッド郊外のセンチュリー・シティに住んでいた友人のもとに転がり込んだ。そいつは夜間の仕事をしていたので、昼間は一緒に遊びに出た。俺はロサンゼルスのベニス住まいのリンダという女の子と付き合い始めた。少しヒッピー風のところがある女の子で、スピリチュアルや禅に関心があり、俺たちは気が合った。

当時のベニスは今よりずっとボヘミアンな土地だった。今でこそ商業的な土地になってしまったが、かつてはビートニクやヒッピー、カウンターカルチャーの聖地で、50年代から60年代以降は生粋のヒップな土地だったのだ。