アメリカでの初の仕事は日給10ドルの客引き
そんなわけで俺は、そのヒッピーでグレイトフル・デッドでジプシーでバガボンドな空気にすぐ馴染んだ。海岸の遊歩道を歩いていると、片側ではアーティストが絵やら陶器やら、自分の手で作ったいろいろなものを売っていて、もう片側では安物のTシャツやサングラス、ソックスや野球帽、ちょっとした服なんかが売られていた。
ロンドンのカムデン・マーケットによく似た雰囲気だった。ベニス・ビーチはロサンゼルスではディズニーランドに次いで有名な観光地で、いつも外国人があふれかえっていた。
ある日遊歩道をリンダと歩いていると、ブースで古着を売っていたイギリス人の男が、俺たちの会話を耳に留めた。ぴったりしたパンツに逆立てた髪という格好の俺は、いわば歩くロックンロールで、この街にしても目立っていたのだろう。男は言った。
「お前、イギリス人か?」
こうして俺たちは会話をかわした。その男はボクサーショーツやTシャツなど、GAPの古着を売っているとのことで、結局俺に週末の仕事をくれた。
「一日に10ドル払おう。客引きをして、俺の商売を手伝ってくれればいい」
それが俺のアメリカで最初の「まともな」仕事で、最初は週末だけだったとはいえ、一日10ドルになった。「お客さん、寄っていきませんか。GAPの古着ですよ。一着10ドル、二着で15ドル」呼び込みに関しては、最初から結構うまかった。
セールストークの素質は、商売人のじいさん譲りだったのだろう。物を売ったり、客に話しかけたりするのが苦にならないのは、そのへんに理由があるはずだ。どんな環境でも全力で仕事をするお袋の影響もあった。シェフィールドの商売人の血は、ベニス・ビーチの陽光に照らされた遊歩道の上で俺を助けてくれた。
週末の店番は楽しみだった
週末になると自転車に乗って遊歩道に行き、一日中働いて、自分の仕事に満足した。店で売っていた服には何の興味もなかったが、金にはなったのだ。長時間労働は苦痛ではなかった。
遊歩道では家にペンキを塗りたいという女に出会い、その手伝いもすることになったが、そっちのほうはうんざりするような経験だった。熱心に働いたものの、稼ぎは少なく、女も雇い主としては愉快な人間ではなかった。俺はお袋に宛ててハガキを書いた。
「4カ月近く、毎日のようにひとりで同じ家を塗り続けている。孤独だし、つまらない仕事だよ……」
幸いにも週末になると、イギリス人の男の店番をするという楽しい仕事が待っていて、リンダとの仲も順調で、ベニスで同棲を始めるまでになっていた。