お金の貸し借りをすることで関係性に“ゆがみ”が生じる

「金を貸すと、金も友だちもなくしてしまう」(シェイクスピア)
「人間は、金を貸すことを断わることで友人を失わず、金を貸すことでたやすく友人を失う」(ショーペンハウエル)
「絶交したければ金を借りればいい。貸してくれなければ、それを口実に絶交できるし、貸してくれたら返さなければいい」(ユダヤの格言)

世界の偉人たちも、お金の貸し借りの危なさ、怖さを警告しています。ほかにも「人にお金を貸すときは、あげたものだと思え」といった言葉もありますね。

そもそも、なぜお金の貸し借りが人間関係を壊してしまうのでしょうか。いちばんの原因は、借りる側に引け目や罪悪感、劣等感のような意識や感情が芽生えることで、両者の立ち位置にゆがみが生じるからではないでしょうか。

寸借詐欺よろしく最初から返す気がなくて借りるような人、借りることに何の抵抗もなく平然と「貸して」と言える人、さらにあまりに借りすぎて借りたことすら忘れてしまう人もいることはいます。

でも普通の神経の持ち主ならば、親しい友人知人に頭を下げて借金を頼むのはつらいことだし、そこには恥ずかしいという思い、申し訳ない思いがあるはず。すぐには返せないような状況であればなおさらでしょう。期限を決めて、それまでに耳を揃えてピシッと返してくれれば何の問題もありません。

とはいえ、それでも、それまでのフラットだった関係に何となく上下感が生まれ、どこかギクシャクしてしまうということが少なくありません。今の世の中、ある程度の金額ならば、短期のカードローンやキャッシング、消費者金融などで借りることも十分に可能です。

きっちり返済できるなら、何も人間関係にヒビが入るかもしれないリスクを冒し、引け目を感じてまで友人に頭を下げる必要はないわけです。それでもそうした機関から借りない、借りられないのは、すぐに返せる状態ではない可能性が高いからです。だから困ってしまうんですね。

「返して」と伝えるのはなかなか難しい

貸した側は、親しいがゆえに、相手の事情もわかるがゆえに、「返して」のひと言をなかなか言い出せない。「いつ返してもらえる?」などと催促すれば、いくら“聞いてみただけ”であっても、相手の引け目や後ろめたさを倍増させてしまいます。

返したいけど返せないという状況は、借りた人を貸した人から遠ざけます。だんだん疎遠になってしまう。相手にしてみれば、そうならざるを得なくなるんですね。こうして次第に友人関係に“きしみ”が生じていくのです。

もちろん、お金の貸し借りがすべて人間関係の破たんに直結するとは限りません。お金を貸し、しっかり返してもらったことでお互いの信頼関係がより高まることだってないとは言えません。ひょっとしたら相手が貸してくれたことを恩義に感じて、つき合いがより深くなることだって——でも、さすがにそれはないでしょうね。

向かい合っている2人
写真=iStock.com/AH86
※写真はイメージです

いずれにせよ、お金の貸し借りがこれから先の人間関係のあり方に大きな影響を及ぼす「分岐点」になることは間違いありません。つまり、お金を貸すというひとつの行為によって、相手との関係がこれまでと違ったものになる可能性が高いということ。

そして長い歴史のなかで積み重ねられた、その時代時代の先達たちの数知れない経験では、結果的に「ヒビが入ることのほうが圧倒的に多い」ということです。だから冒頭のような格言が今もって教訓として受け継がれているのですね。